2005年 9月 24日

自宅出産に向けて・・・(2)bianの出産話

投稿者 by namep at 01:29 / カテゴリ: / 22 コメント / 0 TrackBack

bianは2001年10月22日(月)の21:33に生まれました。3556gの「白くて大きな赤ちゃん」(←出てきた瞬間の助産師さんの言葉)でした。

初産だったし、当たり前のように「神戸の実家に里帰りして、自分の生まれた産院で産もう」と妊娠発覚当初から考えていました。満8ヶ月で仕事もクビになったことだし、結婚してから長期滞在はしていない実家に親孝行と思って帰ってあげよう~くらいに考えていました。

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当時は通勤の便を考えて江東区に住んでいたので、徒歩25分くらいの、評判の良い女医さんの産院で9ヶ月目まで検診を受けていて、臨月に入る直前の35週で新幹線で移動し、産後1ヶ月まで滞在していました。

実家に帰ると家事労働は減るし、2人分とかいって食べさせられるし、車生活なので、あっちゅー間に太りました!(=~=)
27歳という年齢からか、昔からの友達も近くに住んでても忙しく働いていて、そうそう遊んでもらえないし~と平日はヒマ~ヒマ~と家でゴロゴロしていたら、親切な親友がTVゲームのソフトを貸してくれたので、朝からずーっと実家の人間が出かけている時間中TVゲームをして、眠くなったら寝て、を繰り返していたので、太って当たり前ですね☆(爆)


毎週末には、Vulが「まだ生まれないかな?」と気にして&まともな食事を求めて、新幹線で通ってきてくれました。だから土日は主にVulと出かけたりして過ごしていて、「生まれたらしばらくは無理かな?」と映画を見に行ったり、子供服を見たり、ショッピングモールによく居る家族連れを眺めて「赤ちゃんが居るとあんな感じ?家族4人だとあんな感じ?」などとイメトレをしていたりして(笑)、周りの様子を見ながらも夫婦2人だけの生活も最後だね~と満喫していました。(←だから昔からの友達とも会えない)

予定日が10月22日だったので、「1週間くらい早く生まれてくれたら、1週間早く東京の家に帰れるのにな~」と10月に入る頃には既に言っていました。9月15日くらいに移動したので、わずか2週間で実家生活に嫌気が差していたのですね~!(私は実家嫌いの女★) Vulも笑いながら毎週通っていましたが、「まだ生まれないだろ」と言って10月10日くらいの週末には一度来なくなって、「えーんえーん、さびしいよ~」とブルーになってたりしたので・・・精神的にとても不健康でした。(^_^;)


そして「いよいよ予定日だぞっ」という10月19日(金曜日)の夜に新幹線でやってきたVulと、「この週末に生まれてくれたら立ち会えるよね」と楽しみにしつつ、「ご先祖頼みでも行くか」と、この頃には心配してどこでもついて回ってくれているNameP母と一緒に、それぞれのご先祖様のお墓を2箇所巡って、「無事に元気な赤ちゃんが・・・是非とも今週末に!生まれますように・・・」と祈りを捧げに回りました。(^_^)


しかし。

21日(日曜日)の夕方になっても一向に気配は訪れず、「もう帰っちゃう?」と半泣きで私が悲しんでいたら、「うーん・・・じゃぁ明日の朝の新幹線にすれば会社には行けるから・・・でも明日の朝に気配が無ければ一旦帰るからな」と決めて、残ってくれました。
「わーいわーい♪」と単純に”一緒に居られること”に私は喜んでいたけれど、晩ご飯を食べた後、Vulは「こうなったら念を送るしかない!」と当時流行っていた陰陽師を真似て、「ヒュッ!ヒュッ!」と口から気を出しつつ手刀(?)を振って「今晩中に陣痛が起これ~」と念じてくれました。どうしても立ち会ってから帰りたいってことだね!(笑)


そしていよいよ22日(月曜日)の朝。

6時に、「帰るならもう起きなくちゃ」とウトウトしていた頃、お腹がシクシクと痛いような気がしました。枕もとの携帯を見ると6:12だったのを覚えています。生理痛かな?といった軽い腹痛で、「昨晩食べ過ぎたかな~」とか呑気に考えて、またウトウトしていたら、またシクシク。何気にまた携帯を見たら6:19。またウトウト→シクシク、6:26。

「あ、気がつけば7分間隔じゃない?」と初めてハッキリと目が覚めて、次の痛みを待ってみたら、キッチリ7分後にまた同じようにシクシク痛む。「お~っ、来た来た!Vul起きて!多分陣痛だよ?」と起こすと、「え~?」と寝ぼけていたけど、「7分間隔なんだよね」と伝えると「なにっ?!」と急に慌ててガバリと起き上がりました。(笑) 
そこで、「もう3回7分間隔なんだよね・・・12分、19分、26分、33分、と来てるの。次は40分だから、それがキッチリ来たら下に降りて行って母上に”来た”って言おうよ」と待つと、キッチリ6:40にシクシクが来ました!(^_^)

「やったぁ!今日中に生まれるかな~?昨日帰らなくて良かったね、トンボ帰りだったよ~♪」と喜び勇んで階下の母親に陣痛発生を伝えたところ、「いよいよね!まぁ・・・とりあえず産院に行ってみたら?」と言われたので、身支度をして徒歩5分の産院まで歩いて行って、8時45分の診察前にNSTを当ててもらったら「あ、きてるね」と言ってもらえました。しかし助産師さんは「今日中だ、とかは言えないよ~?診察では子宮口もまだ1cmだし・・・初産は判らないからね~」と言っていたので、「じゃぁとりあえずヒーッってなるまで自宅で様子をみています」と伝えて帰宅しました。

NamePの母親は月曜日はヘルパーの仕事に行ってしまうので、出発ギリギリのところに帰宅して「もっと限界まで待つから」と伝えたら「ワカッタ☆昼からの仕事の前に一度帰るから」と言って仕事に行ってしまったので、Vulと2人でイチローが活躍している大リーグの試合を眺めながらゴロゴロしつつ「お腹のシクシク」を感じていました。


ところが12時になってもイマイチ痛みが強くならず、「朝よりは痛いけど、生理痛がヒドイって感じかな・・・ヒーッ陣痛だよー助けてーって感じにはならないな~」とVulと話していたら、Name母が帰宅。「どう?」と聞かれたので、「痛いけど、イマイチ強くない。7分間隔なのも変わらないんだ」と伝えたら、「そんなゴロゴロしてるからよ!おうどん作るから、食べたら洗濯でも干して動き回らないと!」とドタバタと動き回りながら言われてしまいました。そか・・・果報じゃないから寝て待ってちゃダメだったのかな?などと言いながら言われたとおりに動き回ってみたら、1時間で良い感じに痛くなってきた~(^_^;)

しかし、Name母は昼から2件目のヘルパーにも行くので、「だいぶん痛そうだけど、まぁまだまだなんじゃない?私は2時間で帰るから、とりあえず縦になっときなさい」と言ってまた出かけてしまいました。

その後の2時間はひたすら縦になって痛みが増してくる7分を待ちながら、トイレに通っていました。妙に便通が良くなって、2時間で5回くらいウンコが・・・「宿便まで出たぞ!」というくらいにドサドサ出てきて、5回目の「もう何も出ないよ~」という頃には念のためにあてていたパッドに少量の鮮血を見ました。・・・オシルシってやつ?と思って、「もうウーッって唸るくらいに痛くなってから出るんだね~オシルシって~」とVulに言いながら、「いっでで~でででで・・・」と体をよじり、痛い時間も計ってみました。

痛みから痛みまでは相変わらず7分なんだけど、12時までは痛い時間は10秒くらいだったのが、1分くらい痛みが続くようになっていました。要するに、痛くない時間(中休み?)は6分。あ~これが3分間隔とかになるのかなぁ?1分痛くて2分痛くない、みたいな?などと考えつつ、「次に母上が帰ってきたら産院に行こう」と決めて入院セットの確認をしたりしてName母の帰宅を待っていました。


そして15時過ぎ。
母上が帰宅して、「だいぶ痛いよ~、痛いときは立ってるだけで何にも出来ない~歩けない~」と言うと、「じゃぁ破水したりする前に産院に行きましょ!」と徒歩5分なのにVitzで送ってくれました。Vulが付き添っているので母上は「私は夕方に様子を見に来るから」と言ってスグに帰ってしまいました。
朝と同じ分娩室で再びNSTをあてると、助産師さんが「おっ、だいぶんイイのがきてるじゃない?これはもうすぐだと思うな~ワカンナイけど(笑) それと、子宮口はまだ3cm。これが8cmを超えたら分娩準備するからね~、それまで入院する相部屋で頑張ってよう!」と案内してくれました。歩いてる途中で痛みが来たら、止まって痛みが去るのを待ちながら移動~(^_^)

痛みに耐えて大量にウンコしてたから、少し疲れてきた~寝てしまいた~い・・・けど今日中に生まれて欲しい・・・痛いなら早く出てもらってこの痛みとおさらばしたい~とさまざまな欲求と闘いながら、痛くなったらウーウー唸りつつも「Vulが一緒にいてくれて本当に助かったよ~心強いよ~」と痛くない間はフツウに喋っていました。「痛いときは結構痛いんだけどさ、まだドラマみたいにギャーギャー叫んで滝汗かいてる!ってレベルじゃないから、きっともっと痛くなるんだろうな~(ぶるぶる)」と言って、「なぜに痛みには単位がないのか」などという馬鹿げた話題で盛り上がっていました。(←当時そういうネットネタがあった)

後は関東や関西の、生まれるのを楽しみにしてくれている人々宛てに多数の携帯メールを送っていて、「いよいよきたーっ!って感じだよ」とか「天秤座で生めそうです」などと、カチカチとボタンを押していたりしてました。(←余裕?)


入院手続きをしたりNSTをとったりして16時半頃に入室したけれど、18時に「夕食ですよ~」と初めての入院食(←私は27年間入院したことがなかった超・健康体)が出てきたときには、「さすがに痛くて食べられない・・・座って箸を持ってるのが辛い・・・」と言って、痛い時には汗をかき始めていました。その時間くらいには、Name妹が「まだ生まれてない?」と中学の制服姿(←Name妹は2001年は高校受験の年・・・12年離れています★)で、学校からの帰り道に友達と「とりあえず様子見に!」と駆けつけてくれました。「わ~♪急いで来てくれてありがとーっ!生まれてないんだけど、もうかなり痛いのよ・・・こーなったらとっとと出しちゃってスッキリした~い!」などと軽口を叩いていて、「一旦帰宅して着替えたらスグ来るから!私も立ち会えるかな?」とダッシュで帰って行く今はbianに会えるのを楽しみにしてくれている妹が、15年前に生まれた頃を思い出して痛みを紛らわせたりしていました。

そして19時。
着替えて食事も済ませた妹が「にーちゃん(=Vul)も一旦ご飯食べに帰ったら?私が交代するから・・・っておかーさんが言ってるよ?(爆)」と頼もしい発言をしてくれて、私も「多分まだもーっと痛くなるから・・・いざとなっても徒歩5分でしょ?行っておいでよ」と促すと、「今お前のご飯食べたけど・・・まぁ親も来るからいっぺん帰るわ」と言って、朝に連絡したらスグ返事をくれて、高松から橋を渡って駆けつけてくれることになってるVul両親を連れてくるようなことを言って帰宅しました。

しかし、その10分後に「まだ生まれてない?!」とVul両親が登場☆「わーっ!早い!確か16時過ぎに高松を出てましたよね?!飛ばしてきましたか?まだ間に合いましたよ~」と少し汗をかきながら言うと「良かった!もうすっごい急いで来たのよ~今日中に生まれるかしらね?!」と喜んで駆けつけてくれたことが、陣痛と闘っている最中でも、とても嬉しかったです。

その10分後には「いかがですか~?まだみたいやね」とName父も会社帰り姿の作業着で登場。Vul両親と挨拶して「いよいよですね」などと話していたら、助産師さんが「もうかなりイイ感じかな?空いてるから陣痛室に移る?」と相部屋のベッドまで迎えに来てくれました。陣痛室というのは分娩室の隣にある、和室仕立ての広い部屋なのです。続々と集まってくる人が相部屋のカーテンで仕切られたベッド周りに入ってないのを見兼ねて、移動を勧めてくれたのかな?などと考えながら、休み休み歩いて移動。妹・父、Vul両親で4人が一緒なので精神的に心強いです。(^-^)


その後、VulとName母とName祖父(Name父の父)が「まだよね?」と駆けつけてくれたので、20時の陣痛室には私を入れて8人が喋ったり苦しんだり(←コレは私だけ?)してました。
私は1人寂しく生んで、産院の人だけに「おめでとう~」などと言われたくなかったので、ガヤガヤしてて嬉しかったですね!とはいえ、私は会話には入れず・・・(^_^;)妹とVulが傍に居てくれてなんやかやと話しかけてくれるのに助けられつつ、どんどんエスカレートする痛みに「ヒーッ」と滝汗かきながら耐えていました。

「両親が揃って待機してる上、祖父や妹まで居るニンプーって・・・スゴイ珍しいんじゃない?」「眼球が飛び出そうなほど痛いよー」などと軽口を叩くことも忘れず、ひたすらに痛い1分と痛くない2分とを繰り返していたら、隣の分娩室で1人生まれました。私ももうすぐ母親だ~、やっと腹の子とご対面だ~と楽しみにしながら陣痛と闘っていたら、なんだか裂けるような痛みを感じ、「あ・・・なんか違う感じがした。助産師さん呼んできて」とVulに伝えました。Vulは朝からただひたすらに痛みに耐えつつ軽口を叩いて気分を紛らわしている私に付き合っていたので、ロボのようになっていましたが、弾かれたように立ち上がってナースセンターに行ってくれ、スグに来てくれた助産師さんが子宮口をチェック★

「8cmいってるね。早い早い。じゃぁ分娩室が空いたら移動しましょう」と言ってくれたので、「おおっ、じゃぁもうちょっとだ。しっかし・・・1cmや3cmの頃と比べたらやっぱ8cmって違うね~、100万ハナゲくらい痛いよ!」とまた痛みの単位話になって(←鼻毛1本抜く時の痛みが「1ハナゲ」という馬鹿な話です★)、タオルで汗を拭きながら、それでも「私の出産のために、こーんなに皆さんが喜んで揃ってくれて、なんとか今日中に出てきそうで・・・私は幸せなニンプーでヨカッタ♪」とひたすらに感謝していました。

いよいよ分娩室に移動、となったのが、20:45頃でした。
その産院には2つの分娩室があるらしく、隣でも唸っているニンプーの声が聞こえていたので、「どっちが先かな~」などと笑いながら分娩台に上がりました。Vulと妹が頭の上に居てくれるので嬉しい!無事に立ち会ってもらえるなんて幸せ!と私はとても喜んでいて、NSTをセットされたり心音を図る機器を巻きつけられたりするのを待って、「今日出てくれたらさそり座にならないよ~助かった~」などとまだ軽口を叩いていました。10月24日からさそり座。2001年はヘビ年だったので、「女でヘビ&サソリ・・・更にVul譲りのB型だったらどうよ?」と心配していたのです★(^_^;;)

では準備も整ったし!いよいよ分娩ですね~、という雰囲気になったけど、分娩室1の人がかなり佳境に入っているらしく、院長先生は全く来ない。それらしい声は聞こえるけど、私のほうには助産師さんが2人って感じかな~?などと周囲を観察。(←冷静) その後、1からは21:15分くらいに「ンギャーンギャー」と泣き声が聞こえ、「女の子でーす!おめでとーございまーす!」と分娩室1&2に4~5人居る助産師さんたちが騒いでいるのを聞いて、「よっしゃ!次は私やで!」と一気に”産む感じ&生まれた感じ”を掴みました。(^_^)

そして助産師さんが「はーい、頭見えてきたよ~」「もう少しだから頑張ろうね」「呼吸がウマイね」「痛くないときはリラックスして休憩してようね」などとよく声を掛けてくれるし、妹が「すごーい、私なんかが、ここに混ぜてもらえて幸せ♪」とドキドキしながらも色々と笑わせてくれる様子が嬉しかったので、不安はありませんでした。で、21:30に「先生、こっち早く!」と初めて助産師さんが院長先生を呼んだ声で男の先生が隣室からサッとやってきて、「あ、もうスグだね~、あと3回位かな・・・頑張って」と言っただけで、足元で熊のようにウロウロしていたのを明確に覚えています。(←要するに見ただけで、別に何をするでもない?)

21時から私に付きっ切りの助産師さんはたくさん話しかけてくれました。「うん、上手上手!もうすぐだよ~やっと会えるね~」「コレは自然に出るね、破水させちゃうね」「お隣は女の子だったよ!タクシーで駆けつけて、降りるなり破水して、分娩台に上がって15分だったよ~!もうこっちも慌しかったこと極まりない!(笑)でも初産でアレは珍しいよ~」などと、リラックスさせるためにか、笑わせるようなことを言ってくれたりしていました。

対して私も、痛くない間は割りとベラベラ喋っていて・・・(^o^;)

破水させたときも「わ~、ぬるいお湯が出た~すごーい」と感想を述べたり、「胎盤が出たら見せてもらえって母親に言われてるんですけど、いいですか?紫色のレバーみたいな臓器だって聞いたので」とか・・・「初産で15分か~、私はもう40分以上ここにいるよ~あと3回で出るかな~」「頭降りてきた~すごーい、出る出る」「うーっ、もうとっとと出したい~」などと言ってて、「笑いながら産む女」状態でした。(^_^)

先生はというと、来て、チラッと見て、少し待って、「あ、もうイキまなくて大丈夫」と言っただけで、ブリッとbianが出た瞬間に、「はーい、出たよ~!おめでとう、女の子ですよ」と言って取り上げただけって感じ・・・(爆) 助産師さんが「わ~、白くて背の高い赤ちゃんが出てきた~ほーら初めましてだね~」「へその緒、見る?」「今洗ってるからね~、スグ抱っこさせてもらえるから待ってて」「後産が出るから引っ張るよ」などと、また色々と話しかけてくれていました。
感激の余り嬉しくて泣いている妹やVulにも「立会いお疲れ様でした!どう?すごい経験になったでしょう?」「外の人たち(←両親や祖父)はどうしてるのかな?」「はい、写真撮ったらパパも抱っこしてみよっか」などと、ほぼ同時に2人生まれて忙しいはずなのに気を配ってくれて、私としては助かりました。


紙パックのウーロン茶をもらって、分娩台に寝て飲みながら「あぁ・・・やっと出せたね。3556gって大きいよな~いまどき」などとVulと話しながら休んでいると、22時半頃に「お疲れさま!では私たちは帰ります、明日来るからね~」と両親らが挨拶だけにチラッとドアに顔を出してくれて、「ありがとう!」と返事をして明日の来訪を待つことにしました。

その後、入れ替わりで姉も!友達と遊んだ後にわざわざ車を回して来てくれて、「雨で道が激混んでてさ!間に合わなかった~ぐやじー★」と言いながら「Vulもパパだね、おめでとう」などと喜んでくれて、30分ほど分娩室でbianを眺めて、私と話して「また明日来るから!」と帰っていきました。

24時ごろに「そろそろ部屋に移動する?」と助産師さんが車椅子に乗せてくれて、薄暗い廊下を移動。1時ごろまでVulと我が子の誕生に感激して小声で話していたけれど、「ま、俺も今日と明日は休みになったから、もう帰って寝て、また明日くるよ」といって帰っていきました。

私は1人になってしまったけれど、疲れよりも大仕事を終えた感動で興奮していて、ちっとも眠くなかったので、ベッドでまた携帯を出して「無事に生まれたよ!」と30人くらいにメールを送り続けていたら、2時ごろに助産師さんが「どうかな?寝れそう?」と小声で様子を見に来てくれました。そしてカーテンから覗くなり、「メールかいっ!元気やな~(笑)」と言って、「眠れないならミンザイ(=睡眠薬)あげるから・・・嬉しいのは判るけど、すっごい疲れてるんやからちょっと寝たほうがイイんよ」と明るい顔で心配してくれたので、「とりあえず寝ます。おやすみなさ~い」といって手元のライトは消しました。


しかし、その夜の私はまさに「興奮状態」というのがふさわしく・・・出産時にはそういうホルモン(苦しい痛みを伴う出産を、快楽と誤解させる働きがある)が大量に出る、とは聞いていたけど、夜の出産だったので余計に引くのが間に合わなかったのか、結局朝まで一睡も出来ないまま、23日を迎えていました。

退院後に見た母子手帳によると、「分娩所要時間は14時間」「出血は1000mlで”多い”に○」でした。Name母も「だって1リットルよ?!牛乳パック1本よ?・・・輸血とかしないで大丈夫なのかしら・・・」と不安な顔をしていたけど、「まぁ、私が元気だし乳も徐々に出始めてるから大丈夫なんじゃない?」とあっけらかんとした様子に負けたのか、特に騒ぎませんでした。


さて、翌23日ですが。

かなり眠いけどフツウに動ける自分だけの体が嬉しい~と起き上がってみると、体が重い★全身が筋肉痛みたいになってました。これは・・・9時間近く痛みと闘った後遺症?と苦笑しながら、腕だけ動かし寝たまま7時半の検温をし、次に届けられた8時の食事をしようとしたら、座るのが辛いことに気がつきました。これはもしや・・・(・_・;)かなりブリッと勢いよく飛び出していったように感じた、私のbianの生み方が、「会陰裂け」ってヤツをやったのでは?そーいや生んだ後に先生が「ちょっと縫うね~」って言って40分くらいチクチクやってたから・・・ちょっとと言っておいて40分も?と思ったからかなりヒドイのかな~などと考えていたら、Vulが「おはよー」と来てくれました。

早く来てくれて嬉しい♪と思いつつも、「興奮してて全然寝てないんだ~。しかも全身筋肉痛★あと、どうもかなり裂けたみたいで・・・座るのが痛いんだよ~?この座り方さ、痔みたいな感じじゃない?せっかく自分の体に戻って楽だと思ったのに~」と四苦八苦しながら朝食を食べている様子を眺めて、「ふーん・・・そりゃぁ大仕事だから色々あるんでしょうな~ぁ」とじーさんみたいなコメントをくれて(笑)、Vul両親が昼前に来るって言ってたとか、Name母が色々走り回ってるぞとか、連絡をくれました。

その後やっと食べ終わったので、「とりあえずbianを見に行こう」と階下の新生児室に向かってゆっくり移動。初めて新生児ケース(透明プラスチックの箱が乗った小さな移動ベッドみたいなヤツ)にグーグー寝ているbianを窓越しに眺めました。新生児は頭の上の紙に出生日時や出生体重が書いてあるので、「うーん・・・2800g台の子は赤いよね、確かに。助産師さんが白いって言ったから、みんなお湯に浸かっててフヤけてるんじゃない?とか思ってたんだけど・・・確かにbianは赤くないよね」と勝手なコメントをしてしばらく2~3人のほかの赤子と見比べて差を楽しんだ後、「では東京に戻って、また金曜日の夜にくるから」というVulと別れるまで、新生児室や病室をウロついて色々話していました。

昼過ぎにVulが帰ってしまった後、いつでも自由に使えるシャワールームへ昨日の汗を流したくて行った時、脱衣室にあったアナログ体重計に乗ってみたら5kgしか減ってなくて「なんでやねーん!」と1人でつぶやいたり、ニンプーの頃には何でこんなものが?と思っていたドーナツクッションやドーナツ椅子の恩恵にどっぷり預かったり、産院からのお祝いであるフランス料理フルコースディナーを産婦同士で集まって食事する時間を楽しんだり。
お薬は3日分出された子宮収縮剤と抗生物質を飲んでいたけど、子宮の収縮する痛みが強くて23日もなかなか眠れなかったので、その事情を助産師さんに説明した後から飲むのをやめて、さすがに2日徹夜は辛いと思ったので睡眠薬をもらってグッスリ眠りました。


産後の入院生活は5日ほどですが、Vul両親が「おめでとう!お疲れ様!」と高松に戻る前に顔を出してくれたり、Name母が忙しい中を1日2~3回顔を出してくれて要望の品を持ってきてくれたり、Name父が仕事の前後に「元気?」とチラッとだけでも寄ってくれたり、近所に住むVul祖父母が「お疲れ様でした~」と散歩の途中で寄ってくれたり、友達やイトコがお祝いに駆けつけてくれたり、姉や妹が「体調はどう?退屈じゃない?」などと心配して喋りに来てくれたり、実家のお向かいに住むおばーさんが「生まれたんだって?」とお祝いを持って来てくれたり・・・本当に入れ代わり立ち代り、いろんな人がいつも私のことを気に掛けてくれてるんだ~と思うと、感激して泣けるくらいに嬉しい、生まれて初めての入院生活でした。

1人寂しく産んで、入院中も誰も来ない・・・みたいな出産も世の中にはあるのかもしれないけど、私は最もそこから離れた幸せな出産をしたんだろうな~と思いながら、授乳や沐浴指導などを受け、顔エステや洗髪サービスを楽しんだりして過ごしていました。入院費用は35万ほどで、「社会保険から一律30万のお祝い金が出ても足が出るやんけ!」とVulがビックリしてたけど、豪華な3食昼寝付き生活を送って人生最大級のイベントを終えた慰労サービスを受けてるんだから、そりゃぁしゃーないでしょーと思っていました。(笑) 色々とお土産もついて(紙おむつや花や哺乳瓶や粉ミルクなど)、助産師さんがいつでも新生児を見ていてくれて、いろいろと教えてくれる5日間なんだから、そりゃ30万じゃ足りないよね、と言っても、Vulには体験できないんだから一生判らないままなのかもしれませんね・・・(^_^)

という感じで。
とにかく、私は幸せな出産をしました。
bianもとても健康体でした。

私としては申し分なく幸せ100%な状態で、土曜日に退院しました。

2005年 9月 23日

成長記録って大切ですね☆

投稿者 by namep at 00:41 / カテゴリ: / 78 コメント / 0 TrackBack

hikaru生誕4週間目で止まっていた超アナログな冊子アルバムが、一気に8月現在まで出来上がりました♪

昨日は朝方5時半まで印刷指定をしたり、この日記を更新したり(←関係ない?)していましたが、9時にはhikaruが起きたので3時間睡眠で起き出して作業再開!残り80枚近くの印刷指定をして、途中で様子を見ては切れたインクを補充したり、アナログ写真と照らして時系列に並べる作業をしつつ、トイレ掲示アルバムの写真を切ったり貼ったりも進めていました。そして洗濯物を干したり窓拭きもしましたよ♪(^-^)v


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ですが、昨晩と進行状況が違うのは、歴然としていましたね~(^_^;)

hikaruは、ただ今トイレトレーニング真っ最中なので、起きるなりまずシッコさせ、その後は自己申告を含めて1時間おきにシッコやウンコやとトイレに出たり入ったりが繰り返されます。しかも今日はトレーニング中もっとも色々やってくれた気がしました・・・(苦笑)

起きぬけのシッコはトイレに座って成功したものの、4回ほど「ウンコ、と言いながらも”もうない”」を繰り返した挙句、私がシッコしてる傍でトイレの床に置いてあるオマルの縁に立ったままウンコしてくれました!(>_<)おーいっ!周りに落ちてるぞーっ!(爆)
 
あわわわわ~と言いながら私がティッシュで拾って流して雑巾で床を拭いている間に、尻出しhikaruは走って戻ったリビングで更に追加の立ちウンコ・・・(bianが「ギャーッ!」と叫んで教えてくれて早期発見☆)hikaruは落ちていくウンコを見ると、いつも驚いて後ろに下がりながら踏んで歩くから被害続出!(失笑)それをサッと捕まえて風呂場で足の裏まで確認して流し、またリビングと風呂場までの床を拭き回り・・・ふぅ、イイ汗かいたぜ!と一息つくと15分ほどが経っています。(^_^;;)

一人でグズグズ朝食を食べていたbianも、随分と慣れてきたけど、目の前でウンコがポトポト落ちたり踏んで歩いたりされて食欲が失せたのか、更にダラダラとしながらも食べ続けていました。(済まないね~でも逞しくなったね~^_^;)

プリンタを覗いても途中でインクが切れていた為か・・・あまり印刷が進んでないから、「先に窓拭きをするか~」と新聞と霧吹きを出してベランダ側から拭いていたら、「俺も~」とhikaruが霧吹きを吹きに出てきてくれて、ベランダに裸足で出るなり、たった今履かせたトコロの布パンツと半パンツを通してシッコをジャージャー垂れ流してくれました・・・・・・(-_-)
ベランダだから、もう後で水と流すぞ~と、とりあえずhikaruを脱がして脇に抱えて風呂場へ行き、また着替えさせ床を拭いてから窓拭きに戻り、A面B面と拭き終わったら手を洗いがてら自分の洗顔を済ませました。

その時点でやっとこbianも「ごちそうさま~」とお皿を台所に運んできてくれたので(←私は毎度毎度しばらくはbianを待ちますが、傍に居ても喋ってたり座ってるだけで口が空っぽな時間が長くなってくると、立ち上がってとっとと洗濯物を干したり布団を畳んだり、着替えたり皿を洗ったり、下手したら掃除機を掛けたりしてやります★^_^;)
そしてそのbianは1時間掛けて朝ごはんを食べ終わったかと思うと、いきなりソファに飛び込んで「バーバパパ見たい~」と来た!(ヒーッ☆12時から映画かいなっ?!)


でも、まぁ今日は天気も悪いし・・・私もアルバムが作りたいし、hikaruも大人しく一緒に楽しんでみてくれるビデオなので特別にイイよ~と「ある意味で協力体制であるbian」に感謝して、珍しく昼間っからビデオを見させてあげました。ツタヤで借りてきたバーバパパは30分1セットで、終了直後に「もう1回見たーい!」がステレオ放送であり(二人同時に同じせりふを言うな~!笑)、アンコール上映で即座に30分追加。更には2回目が終わるなり「次はムーミン♪」(「ムーミン」とhikaruまでもが・・・)と言われ、更に50分のムーミンが回りました。(苦笑)

その約2時間の間に、両面テープやハサミを使ってトイレ掲示アルバムを作成し、30分おきにプリンタからL判写真を回収してアルバムに挟み、サービス版サイズの写真をL判サイズに切り揃える作業も含めてサクサクと進んだので、昨晩から合計9時間ほどで「アナログアルバム」と「トイレ用ベストショット集」が無事に完成しました♪(トイレ用はまだ余白を残してあるけれど~)

「切りたい」「やりたい」「これなぁに?」などと傍でゴチャゴチャ邪魔されたりせず、ソファで二人とも集中して映画を見続けていたため、一人で進められて早かったとは思いますが、午前中が予想外に進まなかったので時計を見たら15時でした。


「お腹空いたなぁ!」と急いで身支度を済ませて自転車に乗ってドーナツ屋に走り、bianに約束していた汁そばを買って食べさせてあげました。(←昨晩から「アルバムを作るから協力してね、出来たらお祝いにラーメン食べに行こう」と約束していたのです♪) 映画を見てる間はレモンティーを少し飲んでレーズンを食べたくらいだったので、二人ともものすごい勢いで食べてました・・・ってゆーか、飢えてた?(爆) 

午前中は大騒ぎを引き起こしたhikaruも、午後からはトイレ成功率が上がり、玄関を出た直後から空腹で機嫌が悪かったのを除けば、今日も全体として非常に逞しかったです。(^-^)

家を出る直前にトイレでシッコさせて紙おむつを履かせて出てきたのに、ミスドに着くなり「トイレ行く」とシッコを自己申告してくれて助かったし(←紙オムツつけちゃうと出しちゃうし言わなかったのに!)、ガツガツ食べた後に公園で30分ほど元気に遊んでくれたし、「ウンコ出来たね・ご褒美チョコ」を3人でイオンのレジに並んで買ってくれたし(←自分で「ハイ」と渡してくれた)、帰る前にまたトイレに一緒に行ってくれたし(出なかったけど)、自転車の前椅子から帰宅後のソファまで、1時間ほど昼寝してくれたし(←bianと二人がかりで起こしたけど)・・・よく食べてよく遊んでよく出して(笑)、2歳前とは思えないほど色々と逞しくやってくれる男になっています。

bianも「bianもご褒美お菓子が欲しいよ~」とねだられて、同じ種類で大きさのシリーズのラムネ菓子を買ってあげたら、「朝の準備が一人で出来たらコレを1粒食べていいんだよ」「夜はコレね」「ウンコが一人で出来て一人で拭けたらコレ」とラムネを自分でカテゴリ別に分け、「間違えないようにかーちゃんが箱に書いといて~」と全部自分で決めていて頼もしかったですね!(^-^)
なので、その後は例えご褒美目当てであっても、「かーちゃんがやって~」と甘えていた着替えや「一緒に行って~」とねだっていたトイレも、「自分で出来ることは自分でやらないとね!ラムネ食べられないしね!」と一人で思い出しては、トットコ走って全部一人で済ませてくれました。「夜はね~、ご飯まで一人で全部食べ終わったら、食べていいんだよ」とルールを決めて、キッチリ守ったら「ねーねー、ご褒美ちょーだーい♪」と冷蔵庫の下までニコニコしてやって来て・・・面白い人です♪(*^_^*)


Vulが帰宅したのは23時で遅かったから子等には珍しく会えず終いでしたが、食後に「完成したアルバム、見る?」と剥いたリンゴと一緒に出したら、「へ~・・・やっぱりこうやって写真になってるのも面白いもんやな~」と楽しんで見てくれました。bianが大きくなってるんだなぁ!と二人して同じことを感じた辺り、夫婦って感じでしたね。(笑)  子供の2年ってすごい成長してるんだ!とhikaruが生まれた直後のbianの写真を見て思ったのです。(もちろんhikaruもバブバブの赤ちゃん時代から今まで超スピードで成長していますが) 「こっちは、あんまり変わってないけど」と勝手に思っていた2~4才直前のbianの方が、顔つきから体系まで激しく変化していて、ちょっと驚きました。


そうした驚きと共にアルバムをbian誕生から改めてめくって見ていたのですが、ふと、最後の2005年7~8月の写真が無いことに気づき、今、隣でまたプリンタ君が働いてくれています!(忘れてた?コピペに失敗してた?)


ということで。

昨晩の5時間半、今日の昼間の3時間、今夜の1時間半を含めて10時間程度でしょうか・・・それだけの時間で、この1年半が凝縮された写真たちが物理的なカタチになって、私の目の前に「写真集という歴史」として現れてきてくれたお陰で、子供たちの成長に改めて感謝した次第でした。

では、2日間・10時間近い私の作業結果と、同時に、hikaruのトイレトレーニング用「出来たよシールを50枚貼れる手描き線路」をご披露したします♪(撮影場所はもちろんトイレですね!爆)

album.jpg

2005年 9月 22日

思えばこの1年半・・・

投稿者 by namep at 04:21 / カテゴリ: / 16 コメント / 0 TrackBack

hikaruは2004年1月に生まれているので、2006年の正月には2歳になります。その直前にでも「たっつぁん」が生まれておにーちゃんになってしまいそうなのですが・・・振り返ってみれば、デジカメで取り続けている写真が、旧サイトの写真日記に更新される以外、ほとんど役に立っていないまま放置されていました。

2年前の夏には、「hikaruが生まれる前にbianの写真を整理したいなぁ」と思い、無印でアルバムを買ってきて、アナログで頂いている写真やデジカメから印刷している写真などを「ひたすらにポケットに入れる」という作業をしつつも、「同じような写真なら思い切って捨てる」「室内に掲示してあるベストショット写真集の紙の隙間を全部埋めて、bianが楽しめるようにトイレ用にする」などを丸1日かけて進めたのを、ふと思い出しました。要するに2年前にも慌てて半年分くらいを作り上げたのです・・・(^_^;)

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ではhikaruが生まれてからの写真はどうなのかというと・・・。
上(↑)の経験から、今後はコツコツと作るつもりだったのでしょう・・・アルバム自体はhikaruが生まれた直後の春先に買っておいたので、生後1月のお宮参りまでの写真は入っていました。そしてその後はチラホラと頂いたアナログ写真がドサッと挟まっているだけ・・・(汗)だってアルバムに入れるには時間の間隔が開き過ぎているし、デジカメで撮っている写真も入れたいんだもん!と結局は後回しになってて、そのまま1年半も経っていたのです!!(どかーん★)

さぁて、で、写真は一体どのくらいあるんだ?と2004年1月から2005年8月までフォルダを開いて目を通すと、感覚的には多分1500枚。デジカメが自動で付けてくれるカウンターが2000近く進んでいるけど、既に写真を消去してる番号は飛んでるから・・・と考えたら、抜粋しても150枚は印刷か?!と目がくらんできました。(+_+)


が、しかし。

今週末に久しぶりに揃ってやってくるVul両親に「やっとアルバムを作りましたよ~」って見せたい!と決心していたので、日数が少なくなってきた手前、もうやるしかないのです!(^_^;)
10日ほど前に近所のLaoxで安売りだったL判写真用紙を買っていたので出して、先週金曜日にイズミヤカード会員専用クーポンを使って600円くらい安く買えたインクをプリンターに補充して(←要するに2週間越しで「やろうやろう」と計画的に動いている!)・・・2004年1月のフォルダからお宮参りの写真をadoveで開いて、とりあえず適当に縮小して1枚印刷してみました。

・・・え~?!なんか~、すーっごい、きったな~い!!(-_-;) 元のサイズがA4なのをL判に縮小した時にボヤけて、ピンボケ写真になってるみたいだし~?!(なぜにコギャル口調?)

adoveのプログラムバグと闘いながらも約30分。色々と試してみたけれど、全然キレイに印刷できない(紙がもったいないからプレビューで確認してても全然ダメ★)・・・もう12時を過ぎて眠くなってきたけど、ここで諦めて寝ちゃったら、絶対に明後日には間に合わない!と考えて、やり方を変えてみることにしました。(発想の転換!by「2歳児からのジグソーパズル」。笑)


うーんと・・・プリンタに直接、「縮小指定」とか出来ないのかしら?と家庭用複合機を見てみると、なんとメモリーのスロットがついてる!?しかも「コピー」などと並んで「メモリーカード印刷」なるボタンがついてる?!これって何?!と、とりあえず押してみました。(←買ってから今まで半年以上、そんなことも知らないほど使っていない?^_^;)

そしたら、「メモリーカードを挿入してください」と液晶に表示されたので、今入っているデジカメの中身を全部PCに移してから、さっきから格闘していたお宮参り写真を試しに1枚だけメモリーカードに移し、プリンターのスロットに差し込んでみました。そしたら直接「L判印刷」→「印刷枚数を指定してください」という表示が出ちゃったりして!!(喜)
ももももしや・・・「OK」ボタンだけ押せば、このまま印刷してくれるとか?!しかもさっきからウマく出来なくて困っていた「フチ無し印刷」の指定無しだけど、勝手になるって期待してイイ?!と、ダメもとで1枚印刷してみました。

・・・えーっ!?めーっちゃキレーなんですけどっ?!(*^○^*)なんじゃいな~、ほな、メモリーカードに印刷したい写真を全部移した後に「印刷しといてや~」って指示さえ出しとけば、朝までにプリンター君がしこしこと働いてくれるってことかいな~?!(←次は浪花の商人口調?)

急に意気揚々と2004年1月の印刷して欲しい分8枚をカードに移し、スロットに挿して「全部1枚ずつ印刷」と指定して印刷開始♪(^-^)b


あ~、出来上がりはとーってもキレイなんだけど・・・・・・印刷するのがすーっごい、遅いな~・・・・・・(苦笑)

8枚刷るのに10分以上かかってる気がするーっ!(・_・;)
じゃぁ仮に10枚で10分としたら、1枚1分って計算で・・・150枚印刷しようとしたら、150分?じゃ、2時間半も印刷し続けるんですか?!この1時過ぎから?!と時計を見て少し考えました。

でも。

それしか方法は無いのです。(時間が無いからね!笑)

明日、メモリーカードを写真屋に持っていってプリントしてもらったり、お金を払ったり、出来上がりを待ったりしてる手間も時間も惜しいので、自分で夜に印刷して、朝からアナログ写真の取捨選択、hikaruのトイレ掲示用アルバム(←全く作られていない。1年前から台紙だけが用意されて埃を被っていました・・・滝汗)をイチから作成し、今晩の印刷指定には間に合わない(紙が50枚までしかセット出来ないから!)後半の写真も印刷して、なんとしてもアルバムを完成させなければなりません。


今日は「少し天気が悪いし~」と言って自宅にお友達を呼んで、昼から半日を楽しく遊んでしまっていたし、昼までは1年以上触っていなかったPC部屋の窓と網戸とアルミのサンをボロ雑巾で拭いて(←これもVul両親来訪までが期限、と決めていたこと)、最後は捨てるまで拭き掃除を続けていたので、非常に体が疲れています。(ギリギリまでやらない私が原因なのですが~-_-;)

さて・・・どこまでやろうかなぁと考えながらも、既に手は動いていて、「寝ている間にも印刷して欲しいから~」と1500枚の中から150枚をピックアップする作業に取り掛かっていました。

私は頭と体で違うことが同時進行出来る女なので(笑)、「あと何時間この作業を続けて、睡眠時間は何時間か」「明日は昼間にどの順番で何をするか」「トイレ掲示用ベストショットアルバムはどの写真を選出するのか、どう切るのか」などを頭で考えつつ、ひたすらにデジカメ、メモリーカード、プリンタ、刷り上った写真・・・とルーチンワークのように手は動いていました。


ということで、現在の時刻は、5時です。(笑)

プリンタ君は既に80枚近くを印刷しています(←1枚1分以上掛かっている様子ですね~^_^;)印刷したい残り枚数は、多分100枚くらいです。PCの中でもともと時系列に並んでいたので、アルバムのポケットに挟むだけの作業は明日の昼間や夕方にでもサクサクと進むでしょう。先ほどデジカメ写真からの選出は終わっているので、明日の朝にすぐメモリーカードの移動をして印刷を指定したら、刷れた写真をアルバムに挿し、掲示用写真を切って台紙に貼ることを進めていけば・・・なんと明日中に「bianとhikaru、この1年半」という記念すべきアルバムが一気に出来上がるのです!!すごい!!「そーゆーのは毎月コツコツやれよ!」って声が聞こえてそうですが・・・(^_^;)

しかし、明日の昼間は同時進行で「窓拭き」と「子供の相手」があります・・・思うように進むかどうかはお楽しみ、ですね♪出来たらこちらに写真でも添付しましょうか~(^o^)

2005年 9月 16日

自宅出産に向けて・・・(1)bianの妊娠時データ

投稿者 by namep at 00:34 / カテゴリ: / 145 コメント / 0 TrackBack

bianを妊娠したのは、私が26歳の時でした。折しも転職直後で「産休取れるんだろうか~」と思ったことを覚えています。ま、結局取れずにクビになったんですが(笑)、妊娠8ヶ月まで事務職で働いていました。

母子手帳の記録から、参考までに私の妊娠状況をお知らせしてみます。私の身長は166cm、通常時の体重は54kgでスタートですから、+-でご自分との違いを楽しむことをしてみませんか?(^_^)
あと、データを示すだけではツマラナイでしょうし、その頃何をしていたか、何を苦労していたかなどを<>で囲って追記します。


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●18w 「体重58.4kg、腹囲79cm、子宮底長18cm、血圧89/56」
      尿蛋白・尿糖・浮腫はいずれも「-」

<まだお腹はほとんど出ていなかったけど、この頃に「これって胎動?」というコチョコチョを感じるようになってきていました。会社でも普通に仕事(重いゴミを捨てたり1時間歩いて買い物に出たり)してました。でもさすがに1人目は慎重で、自転車に乗ることはもう止めてました>


●22w 「体重60.8kg、腹囲83cm、子宮底長20cm、血圧97/58」
      尿の三種類はいずれも「-」

<6ヶ月くらいで6kgも増えてちゃイカンかも?と心配になってきた頃。ツワリもなかったのに、だんだん運動しなくなってきてたから・・・「ただのデブ状態」でした(笑)>


●28w 「体重61.9kg、腹囲86cm、子宮底長23cm、血圧96/59」
      尿蛋白に「やや+」が出たものの残り二つは「-」

<東北の三大祭巡りツアーに5泊6日くらい出てました!(爆)安くあげるためにビジネスホテル泊まりでセミダブルにVulと押し込められて寝てたり、レンタカーで無舗装の白神山地を走り抜けたりして・・・かなり親類友人にバッシングされてしまいましたが、私はとても楽しかったしとても元気でした★(^_^)>


●30w 「体重62.5kg、腹囲88cm、子宮底長28cm、血圧97/62」
      初めて尿糖に「+」、蛋白が「やや+」。浮腫は「-」

<かなり食べる量が増えていて、体重は既に8kg増。尿糖に初めて+が出たので「さすがに食べすぎ?二人分とか言って?」「仕事終わってから帰ってご飯作るのが疲れる~とか言って外食が多すぎ?」と反省し始めました>


●32w 「体重63.1kg、腹囲88cm、子宮底長30cm、血圧103/59」
      尿糖に「3+」!1時間半前にご飯を食べたのが原因。他は「-」

<腹回りが90cm近くなるとヘソから下が見えない~足の爪が切れない~と笑っていたら、Vulのウェストと同じ数値だったのを強烈に覚えています!(爆)ついに会社員生活に終止符を打ち、今も続いている主婦の生活が始まりました>


●34w 「体重62.7kg、腹囲88.5cm、子宮底長30cm、血圧94/58」
      気をつけたので尿検査は三種類とも「-」に戻る。

<まもなく臨月となると、腹回りの増加は止まるんだな~と安心♪食生活を少し見直したので体重の増加は止まりました。Vulが初めて産院に付いて来てくれて初めてエコーを見て、「見方がよぅ判らんなぁ・・・」と言いつつも、宇宙人みたいなbianの顔を見れて喜んでいました☆>


●35w ☆ここから里帰り先の産院に転院。恐怖の実家暮らしがスタート☆
      「体重64.7kg、子宮底長32cm、血圧99/59」(腹囲はこの産院では測らないシステム)
      これ以降の尿検査は全部常に「-」なので、以降は省略します。

<一気に体重が増加!晩御飯が重い(=高カロリー)のにめっちゃ食べさせられるし、家事は減るし車生活だから歩かないし・・・(0_0;)産院では「皆さん、そんなもんですよ~」と慰めてもらいましたが、自分でコントロール出来ないことが既にイライラの元になってきました(苦笑)>


●36w 「体重66kg、子宮底長32cm、血圧112/69」

<まだ増える体重。毎日暗い顔をして風呂上りに体重計に乗っていたのを覚えています。安定していた血圧すら初めて上がってきたりして・・・(-_-)しかし妹は高校受験だったし、祖母は胃の全摘出手術を受けたりしてて、実母の気が狂うほど忙しい時に里帰り出産しに来てる私も私だったんだけど・・・ハッキリ言って気疲れしてました>


●37w 「体重65.5kg、子宮底長33cm、血圧99/66」

<母親に協力を要請して食事のカロリーを減らし、一人で居る時間はなるべく海辺を散歩して運動量を増やしたお陰で、各種数値の増加は止まりました。でも会社に行かない生活と久しぶりの実家での軟禁生活に疲れてきたために、「早く出ておいで~」と毎日腹をさすりながら唱えていました。とーってもヒマだったので、真剣に漢和辞典引いて名前を考えてたり?(^_^)>


●38w 「体重65.1kg、子宮底長33cm、血圧106/67」

<まだ出てこない~と思っていたら、週末ごとに新幹線で通ってきてくれていたVulが初めて神戸の来訪をstopしたので余計に滅入っていました。なんせ小さくてもいいから早く出てきてもらって早く東京に帰りたい~(←当時は江東区在住)ばかり言っていたなぁ・・・ほぼノイローゼ状態?(苦笑)>


●39w 「体重65.6kg、子宮底長34cm、血圧112/70」

<早く出てこないと「ヘビ年のさそり座の女」になっちゃうぞ~って心配をし始め、お腹に向かって言葉を発して脅していました(笑)。モメるけど決まらずに名前があっちこっちするのは、面白かった・・・それも今思えば、だけど。(^_^;)
 「キリン」(今でも「麒麟が第一希望だったなぁ」と鮮明に覚えている位に好きだった♪)、「レモン」(別に飲み物屋の回し者ではないです!笑)、「リキ」(この頃には親友のセミプロ姓名判断士にバランスの良い画数を考えてもらい、「律紀」と漢字まで決めてしまったりしてました★)などを提案しても、「奇抜すぎ!」と全て却下。「アカリ」「アキラ」も「もう少し・・・なんてゆーか・・・ピンと来ないね」などと取り下げられ・・・(笑)。 あーだこーだと一喜一憂してて楽しかった気もします。当時は「もうなんでも良くなってきた~」とボヤいてたけど!(笑)>


そして40w(ピッタリ予定日)、bianは3556gで生まれました。

出産の話は「(2)出産の話」でお伝えしましょう。

お楽しみに♪(*^_^*)
 

2005年 9月 14日

たっつぁん

投稿者 by namep at 23:33 / カテゴリ: / 57 コメント / 0 TrackBack

第三子のことを、勝手に男だと決め込んで、しかも「たっつぁん」と呼び始めて、かなり久しいです。
すっかりbianもhikaruも「腹の子はたっつぁん」と認識しているのですが、これでもし近い内のエコー写真で「あ~女の子ですね~」とか言われちゃったら名前、どーしょ?!と笑っている日々です。(笑)

そういえばhikaruの時も、「私は女腹」と勝手に決め込んでいて、「いもーとの写真見に行こうか」とbianを病院に誘っていたのですが、6ヶ月くらいで早々に「え?おとーとじゃない?」と先生に言われて、「えーっ!大変!いもーとは男だったんだって!男のいもーとらしいんだけど・・・bian、どする?!」とbianに言ったら「・・・ダメだったのかな?」と先生が笑っていました。(^_^;)

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今回は性別はどちらでも構わないのですが、bianが幼稚園に行ってしまう環境を考えると、hikaruと元気に遊んでくれる弟だと嬉しいなぁという希望的観測と、hikaruが腹の中に棲んでいた(←寄生虫か?)時と同じく「私の食べ物の好みが肉に取り憑かれている」ので、「多分、男だ」と思っています。

妊娠も出産も出てきた子供の個性も、「同じ親から出てきてなぜ?!というくらいにぜーんぜん違う!」という話はよく聞くので、つわりがヒドかったり楽だったり、食べられなくなるものが違ったり・・・という話はありがちだと思うのですが。
私はbianもhikaruもキムチ狂になり、ツワリはほぼゼロ。さすがに3~4ヶ月の頃はコーヒーをがぶがぶ飲むのは辛かったけど、5ヶ月くらいからはほぼ元通りの食生活に戻っていました。

そして「空腹が気持ち悪い」ので、「食べツワリ」なのです。5ヶ月までに食べちゃって、4kgとか太ってしまう。そして後半が本当は増える時期だから~と慌ててセーブして、8ヶ月で8kg増くらいまで抑えてみる。しかし里帰り出産なので実家で肥え太らされてしまい、臨月で3kgとか増えてしまう・・・というサイクルで2回の出産を経験してきました。


それを踏まえた今回の3人目。たまたまVulが運動不足でダイエット~と叫んでいたし、私も後半に11kg増まで行く自分がイヤだったりしてたので、体重をセーブするニンプーとなっています。(笑)
ダイエットというまでは行かないけど、余計に食べない、油モノを控える、お菓子やジュースを口にしないようにする、晩御飯を粗食にする。たったそれだけのことを、1月続けたら、体重は増えませんでした。ニンプーであり、しかもツワリが明けて胎児が抜群に成長し始めるこの時期(5~6ヶ月)に、1kgたりとも体重を増やさずに過ごせたことを、自分でも「すごい!」と思えてきました。

9月14日現在はほぼ24週(満6ヶ月が終了といったところ)ですが、腹はさすがにポコッと出てても、その他の見た目は変わっていません。逆に顔と足は締まったくらい?!(爆)
なので、裸になって正面から鏡で自分を見たら、ちゃんとウェストがくびれてますから・・・でもそれはもしかして、前に引っ張られてるだけだったりして?!(^_^;)

たっつぁんはそれでも順調に成長してくれているのです。産院でエコー写真を見ると、「ほぼ標準どおり」という大きさで骨も内臓も育っていると言われます。
腹帯は「暑いんだよ!」と巻いてもらえないし、戌の日は危うく忘れられそうになるし。毎日のように自転車三人乗りでガシガシ出かけてしまうし、立ちっぱなしで公園遊びに付き合っていたり、週末にサイクリングで遠出して5~6時間外出していたりしてますが・・・母子ともに、全然平気。(・_・)
私が貧血を起こしたり腰痛を訴えたりむくみを感じたりすることすら、ほぼ、ありません。

3人目にして最も優秀なニンプー生活なのかもしれない・・・と思えてきました。今までの二人も、特に叱られたりするほど太ったり、シッコに糖や蛋白が驚くほど出たりしたこともほぼ無かったので、かなり元気で優良ニンプーだったはずなのですが・・・今が一番元気で健康な気もします。(笑)


ということで、たっつぁんは、今住んでいるマンション(自宅)で出産することになったのです。(^_^)

それに関して、また別に「bianとhikaruの出産について」という記録をご紹介することにします。

それを読めば、「あぁ、この人なら自宅出産も可能だわ」と納得出来るように書くようにします。
自宅出産を考えている人、怖いけど出産の話は聞いてみたいという人、これから控えている出産は産院や病院でするけど、どーしてNamePは病院がイヤなの?という疑問を持っている人が納得するように書きたいと思います。

では、またの投稿をお楽しみに!(^_^)/~

2005年 9月 14日

また人間に例えますが・・・(笑)

投稿者 by namep at 00:43 / カテゴリ: / 115 コメント / 0 TrackBack

Vulの日記にもあるように、有楽町ソフマップという誠実なお店のお陰で、黒い雲から抜け出したような晴れ晴れした顔で帰宅したVulが久しぶりに見れて、とても嬉しかったです!ソフマップの親切な店員さんありがとう♪(^-^)

無料で相談に乗ってくれて、各種パーツの規格などを見ただけで処理の速さを推測したりできる知識の専門性、宅急便で修理センターへ送って点検だけなら2100円だけど一応修理する場合に最低いくらになるかまで見積もってくれる誠実さ!話を聞いただけでも「素晴らしい!なんてお客様第一主義で不安を取り除いてくれる企業なんだ!」と感心しました。

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Vulの説明力の低さは長年付き合っていて知っているので、店員さんもさぞかしまだるっこしかっただろうけど(苦笑)、イイ対応をしていただいたおかげで「とりあえず点検してもらう」と決断して帰ってきたVul。やっと選択肢がハッキリして非常に幸せそうでした。(笑)


しかし、会社のSE氏とソフマップの店員さんが同じ意見(=もうどこが悪いかハッキリと判らないし、点検しようにもパーツだけ買い換えようにも修理しようにもお金がかかり過ぎる割にリスクが高い)だった、という話を聞いたときに、「あぁ、もう全身に転移してますね」と受け答えたらVulも大笑い!

そして、「ハードディスクがカタンカタンいってるのは、もうほぼ壊れた証拠」というVulの日記を読んでも「あらまぁ・・・昨日は期待できそうって少し喜んでたその症状も、死後硬直の痙攣だったのね~」とか思ってしまいました!(爆)

ということで。(・_・)

私がアイロンを掛けたりメールを読んで返事を打ったりしてる間に、家の中にあった古いダンボールを切ったり張ったりして、全身転移の死後硬直状態であるVulの愛するPCを四苦八苦しながら梱包してました。(^_^;)

素人とは思えない荷造り上手な私(←らしい。引越しを手伝いに行くと言われる)から見ると、もう「ひえーっ!」って状態なのですが、Vulが自分でやることが大事だし~とダンのこ(=ダンボール工作用ノコギリ)を出してあげたり、梱包材やスペーサーをアドバイスしたりしただけで、笑いながら見守っていました。

元・メーカー勤め人としてクレーム品などを受け取った側の心境を話し、一筆したためることを勧めたら「え~」と言ってたけど後でちゃんと「レポート用紙1枚頂戴」と言って来たり、やっと全部出来た~と思ったら電源コードが傍に落ちてたり、ヤマト運輸の送り状を渡したら書いた後に「・・・コレ、どうやって貼るの?」と裏表を見ながら困っていたりしてて(信じられない!!@_@;)、彼にとっては一大事件だったんだろうなぁと微笑ましかったです。(なんか、親の心境?^○^;)


無事に明日ヤマトに集荷に来てもらい、ソフマップの修理センターで点検してもらえて、結果が出てからソフマップのお店で買ったパーツの装着などで、無事、元気な姿になって帰ってきてくれることを心から祈っています。(^_^)


多分、骨折だけだったはずが、いたずらに頭蓋切開→脳をイジられて植物状態→更に腫瘍の全身転移→死後硬直と痙攣、まで進んだ患者さんも、もしかしたら奇跡の全回復を遂げて帰還するんですよ!?
人間も病気と闘ってる方はたくさんいますが、諦めずにさまざまな手法で快癒を目指す、その心意気が大事なのかも・・・と、ふと思ったNamePなのでした。我が家はみな健康体で有難いです。冗談でこんな言葉を出すのはフトドキかもしれませんが、そう出来る自分は幸せだと思いました。

2005年 9月 13日

外科手術に例えると・・・

投稿者 by namep at 00:40 / カテゴリ: / 20 コメント / 0 TrackBack

週末はVulの愛するPCがイカレてしまったので、Vulの頭の中は「PC壊れたPC壊れたどーしょーどーしょー」ということだけでパンパンだったらしいです。(苦笑)

木曜日から少しずつ兆候があったらしく、「もう起動できないかもしれんぞ!」と脅されたので、「今メール打ってるのに~面倒くさいな~」と言いながら、渋々bianの小さい頃から現在までの写真などをフォルダごと全部私のVaio君にコピーして、「はいはい、移しましたよ~」と答えていました。

しかし日曜のVulPCの徹底的な壊れぶりを見ると、「は~、コピーしておいてよかった!ってゆーか徐々に壊れてくれて助かった!」と思えます。(笑)


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思えば私は普段から、「データが突然失われた場合」というのを想定していないのです。住所録やメールアドレスなど、一瞬にして消え去ってしまうかもしれない貴重なデータを他にコピーしてもいない・・・突然ぶっ壊れたとしたら泣くしかない?!って・・・今後の自分のデータの保存方法を考えてしまいました。

ですが。

1家に3台もPCがあるお蔭で、例え1台が少し調子悪くなっても他のマシンにデータを逃がしておけるというのは心強い環境だな~とも思えました。それでも「突然の不幸」には対応できないことには変わらないので、普段から「住所録のコピー」とか「記念の写真類はディスクに焼く」とかしておかないとイカンかな~と改めて考え直すキッカケになりました。(←私にとってはキッカケ程度?所詮は他人事なのか?)


せめてもの気分転換になれば~と思って、私は普段どおりに週末を過ごすことを提案しました。
   (↑もう告知されていないガン患者を扱ってるような精神状態?)

土曜日はお弁当作って自転車で片道1時間かけてプラネタリウムに行ってみたり、帰り道に小泉さんの生の姿と声を体験してみよ~と稲毛海岸駅前にタカってみたりしたけど、Vulは「あの症状がまず、どういう原因から来るのかワカランから、対処の仕様が無い」という辺りで常にグルグルしてるみたいでした。(-_-;)

日曜日は千葉駅近くの公園でクレヨンしんちゃんのショー(着ぐるみ)があり花の苗も無料配布という市のイベントがあったし、選挙の投票日でもあったので、また自転車で朝から夕方まで遊びに出ようと考えていました。

しかし。

土曜日の自転車往復2時間で「どーやら腰を痛めた~」と突然帰宅後から寝込んでしまい、子供とも遊べない、PC修理も出来ない、俺のことだけやってとっとと寝る~という病人状態になってしまいました。

妊娠6ヶ月のニンプーである私は、その2時間以上のサイクリングから帰宅後に、ご飯作って子供と話しながらなるべくバランスよく食べさせて食後の皿洗いもやって・・・と座る暇も無いくらいに働いても平気だってのに(確かに疲れてたから、寝る直前は腰が痛かったけど~)、帰宅後はシャワー浴びたら後は出されたご飯を食べてTV見て寝てただけの35歳健康体のVulが寝込むか?!とビックリ★

「体力が落ちてるんじゃないの~?」と思った瞬間、VulとPCが重なって見えました。
                               (段々白~く、四角~くなってきた?>_<)

暑くて、バテる。(PCも熱くてヤラれた?)
外側の手入れを怠るから汚れて、参る。(急激に日焼けして皮剥けてたし~)
体力に無理して動くから、気力から疲れる。(最近ウォーキングも減ってきたしな~)
「でもやらなきゃ」と”やるべきこと”をこなすから、少しずつ壊れる。(義務感で更に負担?)

それらが、VulとPCが今、同調してるように見えてきました・・・段々重なってきました~(爆)

で。(・_・)

そんな同調してる「調子悪いもん同士」が、片方を修理するもんだから、「素人の外科手術」みたいになってしまったのではないかと考えたわけです。(ひーっ!おっそろしーっ!)

これは日曜の晩(致命的に壊れた後)に、Vulと布団に寝っ転がりながら子等を寝せつつ、大笑いして話していたのですが。

「CPUまで外して掃除したって・・・それで”致命的に壊れた原因が判らない”ってゆーのは・・・例えるなら外科手術で足の骨折を治していたはずだったのに、”ついでだ~”と頭蓋切開して脳みそを取り出しておいて、”ちゃんと元に戻したのに植物人間になったのはなんでかな~”って言ってるようなもんじゃない?!(笑)」

「ガハハ!!”あれ~、向きはあってるんだけどな~ぁ”、って?(爆)」

「”そーいや途中でプチッとか言ってたけど・・・あの時になんか切れちゃったのかな~?”みたいな?(笑い過ぎで涙)」


色々とPC環境やシステムに詳しくても、「掃除は素人」なんだから・・・VulはマザーボードやCPUを外して掃除した後に「・・・ネジが4本余ってる・・・」と困りながら眺めてて私にゲラゲラ笑われてるレベルなんだったら、開けた内側は触らないほうが良かったのかもしれませんね!(^_^;)


でも。

残りの2台で色々と最近の規格を調べたり、会社のSEに泣きついたり(苦笑)して、どうすれば適切な修理が出来るのか、買い替えるべきパーツはどれか、などを一生懸命に調べてきたり、帰宅後またPCを開けて消去法で故障の原因を調査してるVulはエライと思うよ!!

ちょっと動作不良しただけで「ウィルスや!」と他に原因をなすり付けたり、「えーい、もう買い替えじゃ!」と、妙にキレたりしないところが、真面目なので、好きです♪(^-^)

例え素人外科医でも、今まで様々な病気やケガを治療してきた(←外科医なのに病気も診てる)ことは私の知る過去の事実ですから・・・手違いで1人殺してしまったからって、「こいつ、ダメだ」という烙印は、私からは押さないよ!手塚治虫氏の名作「ブラックジャック」にもあるでしょ~!(^○^)

買い替えの出費が痛い!が由来ではなく、「本当に3台必要なのか?」という点から、現在のPCを見直してみることを私は推奨します。パーツ交換で修理できるのであれば、あと2~3年のためにでもパーツ買いで治す(←既に患者扱い)べきだと思うし、根本的に部分買いじゃキリが無い話になるのなら全取っ替えでもイイと思います。

クドいようですが外科医に例えると(笑)、植物状態になった患者に対して奇跡を信じてメンタルな面から治療を続けるのか、見放して生命維持装置を外すのか、という選択肢が迫っているのだと私は思います。(しかし後者の場合は引越し後まで2台で稼動するので、「1年近く医療活動からは遠のいてもらう」ということかも?苦笑)


また、近いうちに「どうすることにしたのか、どうなったのか」という結果が出たら皆様にお知らせすることにします。

今回のPC故障騒動で私の感じたことは、「PCも人間も、子供もペットも、情報が双方向で無い限り意思疎通が難しくなるのは一緒なのかな・・・」ということでした。(はぁ、PCが「ココを治して」と喋れたらね~)

それと、「データは蓄積するのには時間が掛かるが、カケラも無く消滅するのは一瞬☆」ということですかね。(まだVulPCのデータが見られる可能性も残ってるけど。自分のデータ管理を振り返るという意味で・・・)

そしてもちろん、「無理したら、壊れる」。 これに尽きます!(爆)

2005年 9月 08日

寒天作り

投稿者 by namep at 01:02 / カテゴリ: / 124 コメント / 0 TrackBack

この頃楽しんでいる手作りは、寒天パウダーからリンゴ寒天やブドウ寒天を作ることです。ちょっと今ブームで店では手に入りにくいらしい寒天粉を使って、ジュースと混ぜるだけで非常に簡単にデザートが作れて楽しいです。リンゴ味の寒天などついぞ見かけないので、子供も大喜びで大量に食べていましたが、自分で作っていると大体の糖分が判っているから、あまり怖くなかったです。(市販のジュースを使うのでジュース次第ですが・・・)

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100%のリンゴジュースやぶどうジュースを買ってきて、鍋で一煮立ちさせた寒天粉と水に混ぜて、型に流して冷蔵庫で冷やし固めるだけで出来てしまうのですが、大きな四角い型に流し込むと「おっきいゼリー!」と直接スプーンで食べ始めたりして楽しそうでした(笑)。パイナップル缶で作った時は600ml位の寒天が一度に無くなり、笑えましたね~(大半は私だけどっ!^_^;)

bianがリンゴ好きなので目を離すと彼女が型を抱えて全部食べてしまっていたり、hikaruがスプーンでグチャグチャにしてしまっていたりして・・・各種トラブルもあったけど、5回ほど作ったら毎回非常に好評なので、暑さの残る9月イッパイは楽しむつもりです。

さぁて、冬になったら何のデザートを作ってあげようかな?(*^_^*)

2005年 9月 08日

手作りの楽しさ

投稿者 by namep at 00:28 / カテゴリ: / 40 コメント / 0 TrackBack

盆休み明けから子供たちは「朝食はシリアル」がブームでした。野尻湖で久しぶりに食べてから、すっかりハマっていたので何種類か買って楽しんでいたんだけど、2週間も毎日のように食べているとさすがに飽きてきたらしい(笑)。牛乳を3日で1リットルのペースで消費するので、珍しく週に2リットル近く空けていたけど、それも今日の2人とも随分と食べるペースが落ちていたのを見たら、そろそろまたパンに戻してもイイかな~と考えている次第です。

朝をシリアルにすると何が便利かって、昼にパンが食べられることでした。(^_^;)

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シリアルは栄養バランスがイイと謳っているけれど、結局腹持ちが悪いから3時間後の昼食にはフレンチトーストを作ってあげたりして楽しかったです。そしてオヤツはせんべい系を食べ、夜はご飯を食べる、というパターンに入っていたのが終盤を迎えたらしいので少し悲しい・・・。

そうなるとまた、「朝=パン、昼=麺類、夜=米」という炭水化物の摂取法に戻るのかな・・・まぁ私はそのパターンの方が好きなんだけど♪(*^_^*)夜が麺類の予定なら昼は冷凍の米でおにぎり作ったりしてたのも、割と新鮮で楽しかったのに~(笑)

まぁ、要するに「昼の外食を減らせて便利だった」という話なのです・・・(爆)

私達はまた起きるのが遅い(10時とか・・・盆休み明けからまた奈落の底へ落ちてしまいました・・・)ので、つい、朝を食べて準備が出来次第すぐ出かけて、昼は外で適当に食べる、ということをやりがちなのです。
が、外で食べる時にご飯モノは難しく(おにぎりを買うか持参するか?)、パン系(ハンバーガーなど)や小麦粉系(たこ焼きやドーナツなど)に偏っていたのが、自宅で朝(シリアル)を食べ、少し遊んでたら腹持ち悪くてまた自宅で昼(パン)を済ませてから、15時ごろに外出し、外遊びしてたら18時になって、帰宅したら少し早めに急いで作った晩御飯を食べるか、軽くせんべい系を食べさせておいて21時ごろにVulとご飯、というパターンが安上がりで(無駄にお菓子も食べないし)、気に入っていたのです。

そしてなにより楽しかった(=嬉しかった)のは、フレンチトーストを作る過程を子供たちが楽しんでくれたり、「はちみつハニー、いーっぱいかけて~」と甘いのを喜びながら牛乳と一緒にバクバク食べてくれる嬉しそうな顔を見られることでした。おにぎりを作る時は3種類の混ぜご飯にしたり、ウィンナーをタコさんにしたりして、ちょっとしたお弁当気分だったりして・・・手作りを楽しむ私と、外食じゃ味わえない変化のある皿や食卓を楽しんでくれる子供たちを見ていると、「手作りを親子で共に楽しんでていいなぁ♪」とのんびり思えて幸せでした。

朝食がシリアルじゃなくなったら、またチーズトーストとかジャムパンとか、ハムだけサンドイッチとかに戻ってしまうのかしら~(-_-) hikaruは離乳食期からパンの食べ過ぎで最近はすっかり食傷気味で、なんか甘いモノを塗らないと食べなくなってしまったし・・・(汗) 困ったなぁ、ワンパターンにハマってしまう~(^ー^;)

などとボヤいておりますが★ 

私の本当の「高い理想」としては、朝に早く起きてVulと揃って「ご飯を食べる」がやりたいのです。(あ~、Vulが読んだら「早くやってくれー」って言いそう・・・ごめんなさい、起きなくて!T_T) 
でも来春からbianが幼稚園に通いだしたらお弁当を作ることも始まるので、その夢(?)も叶うかもしれません・・・いや、必ず叶えましょう!(笑) 毎朝6時に起きてbianのお弁当と同時に朝食を作り、バス停までお見送りに行くのです、下の2人も連れて★・・・・・・本当に私に出来るのかな~(冷や汗)

話はかなりそれましたが。
「外で買って食べる」のもたまには楽しみになりますが、私はやはり「自分で作って食べる楽しみ」というのを大切にしたいなぁとしみじみ思います。その方が安心だし安いし楽しいので、実際イイコトづくめなんですから♪(^-^)