2005年 7月 21日

「優先順位付け」は「大事なこと」への時間配分

投稿者 by namep at 00:59 / カテゴリ: / 112 コメント / 0 TrackBack

物事への「優先順位の付け方」というのは、「その人の価値観そのものである」と近頃とみに感じています。私は能力開発を受けて以来、「今までは行き当たりばったりでやっつけていたことを、何からやるのか?今日絶対やらなくちゃいけないことって何か?」という優先順位付けを大切に考えるようになり、日々の計画や振り返りを重要視できるようになりました。

そして我が娘bianを見ていると、彼女は非常に子供らしく気ままに行動が決まっていくのがほほえましいです。まるで庭先で遊ぶメイちゃんのように・・・おたまじゃくしを捕まえるためにバケツを探しに行ったのに、底抜けバケツの穴から庭を覗いたらドングリを発見、バケツを投げ出してドングリを集めだしたと思ったら出てきたトトロを追いかけて・・・まさにアレです!(笑) たった今「しっこした~い」と言っていたのに、トイレでズボンを脱いだトコロでふと思い出して、しっこに付き添ってもらう人形を探しに行き、そのまま人形の箱の傍でパンツ一枚で遊んでいるかと思うと3分後にはhikaruと布団の上で跳ねて遊んでいるような・・・(君のしっこはどこ行った?!>_<)

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3歳の子供には時間の感覚も無いから、「自分が今から行動する一つのことに何分かかるから、まずはこっちのことからやろう」とか、「もうすぐ○○の時間だからそれまでに××は出来るな」とか、「あと1時間しかないから△と□は出来るけど、●と■は間に合わないから後だな」などが、もう笑えるほど、いーっっさい★判りません!いつ頃から判るようになるんだろう~と私は今のbianに気長に付き合っていますが、実は昨今の小学高学年にも、朝の身支度に自分が何分かかっているのか、だから何からするべきか、が判らずに親が朝からガミガミと「早くしなさい!遅刻するわよ!」と言っているらしいです・・・(^_^;)

地球上の全生命体に等しく分け与えられているのは「時間」です。bianに最近言っているのは、「時間は待っててくれないし戻ってこない、人からはもらえないし人にもあげられない、取っておけないし先にももらえないモノなんだよ」ということです。1日は24時間だとか60分で1時間だとかは説明しても3歳児にはまず判らない「ただの数字の感覚」なので、その前に判って欲しい「基本的な時間の感覚」として教えることにしました。

bianは「今一番先にすることは、手を洗うことだね!」とか「えっと、父ちゃんを迎えに行くためには、まずbain号(←自転車)の鍵を用意することだね!」とか「やりたいことがイッパイあるなら、まず一番にやらなくちゃいけないことからやって、それからやりたいことをやればいいんだよね」とか言っています。
もう私からの入れ知恵以外の何者でもない「謳い文句状態」なのですが(笑)、とても大切なことだと私は思っています。

もちろんその際、私から「いや?まずは●○でしょ!」とか「違う違う!△□からだろー!」といった指図はしません。ちょっと違うかな~ということを一番にしようとしていたら、「うーん、そっちが先かぁ・・・じゃぁ、多分■●は出来なくなりそうだけど、イイ?悪いけど時間が足りないんだ。母ちゃんには時間は増やせないからね~」と言うと、bianがもし■●の方がやりたかった場合は「じゃぁ■●からやる!」とサッと切り替えるし、自分で今違う方を選んだ結果として■●が出来なくてもイイやと思った場合は「うん、イイよ」と認めます。
これで「後でやりたかった~とか泣くなよ?!知らないよ~」といった脅しや、「だってあなたが■●を先にしないからでしょ?!自分のせいじゃん!」といった後からの教えなど、親子間の無益なやりとりは、まず無くなります。

時間の感覚はそれこそ時間を掛けて養ってもらわないと、彼女自身が生きる大切な人生の、とても価値の高い財産の一つであることに気付かないまま年齢を重ねてしまうのは、非常にもったいない!と私は思うので、言葉を繰り返す「反復学習」で身に付けてもらっています。
「時間は、待っててくれないし戻ってこないんだよね?あと、時間は人にあげられないし・・・?」「人からもらえないんだよ!」「あとはなんだっけ?」「え~っと、時間は・・・」「取っておけないし?「先にもらえない!」と歌のように徐々に覚えてくれています。言葉自体は3歳児には把握できる範囲内で簡単ですので、内容の理解の程は知りませんが「お金」の前に「時間」を覚える一つのステップとして、繰り返している真っ最中です。

「努力の結果が出るのは、かなり先」なのが、全てにおける子供との付き合いです。
4歳で時間が判って欲しいとは思っていません。10歳くらいまでに「時間は取り戻せないし待っててくれない、あげられないしもらえない、取っておけないし先にもらえない」と理解してもらえれば幸いかな。

余談ですが、昨晩初めて「でもね~、実はお金で買えるんだよ~」と言ってみたら、「どゆこと?!」と楽しそうでした。お金の掛かる特急電車や新幹線に乗れば早く着くから、時間を買っているようなものだね、という説明をしたら、判ったのか判ってないのか・・・リアクションは「ふーん」。でも、なんだか嬉しそう。「時間の新しい側面を知った!」といったワクワク感がbianから漂ってきて、「知識を小出しにするのもイイかもしれんな~」と思ってしまいました。(基本的に私は知識の出し惜しみはしないのですが、子供を特例で混乱させても悪いので、「特別なパターン」は余り言わないのです・・・^_^;)


あなたは、時間をどう捉えていましたか?

少しならお金で買えるものだとは軽く思っていたり、増やせるものじゃないしもらえないし、取っておけないし待っててくれないことは、例え無意識でも、もちろん知っていたりしましたよね?
ではあなたは毎日の時間を、どれだけ大切にして暮らしていますか?
日々の小さな時間を「自分の重要な人生の一歩」と捉えて、大切なものを大切にして生きていますか?
もう戻ってこない1分を、1時間を、1日を、悔いの無い過ごし方で生きられましたか?

だから私は、テレビを見ないのです。何も考えずにただボーッと時を過ごすことはしたくないから。
だから私は、子供と楽しく豊かな時間を過ごしたいのです。子供に怒って自分にイライラすることで無益な時を過ごしたくないから。
だから私は、少しずつでも、睡眠を削ってでも、このブログに投稿するのです。出来るだけ多くの方々に、私と同じように出来るだけ豊かな時間を過ごしてもらいたいから。

時間は宝物です。子供の時間も宝物です。
世の中の多くの母親は、自身のの時間と子供の時間をリンクさせて生きています。母から子へあげているワケでも、子から母へもらっているワケでもないのです。これはもう、相互リンクです。(笑)

親子が同じ時間を接して過ごすことで、お互いの時間がより豊かになる・・・そんな親子の時間を、人生の共有を、あなたも楽しみたいと思いませんか?(^-^)

2005年 7月 21日

「外見」と「内面」のバランス

投稿者 by namep at 00:01 / カテゴリ: / 261 コメント / 0 TrackBack

私は、「美しさは若さに繋がる」とは特に思わないけど、「若さは美しさに繋がる」とは思います。若ければもう「=美しい!」というワケではないとも思うけど・・・要するに、「若々しさ=生命としての輝き=美しさ」ということで、「A=B=CなのでA=C」という方程式に従って、「若さは美しさに繋がる」と考えているワケです。

「国民的美少女コンテスト」というのが一時期もてはやされましたね。私の記憶では後藤久美子さん、宮沢りえさん、牧瀬里穂さん、観月ありささん、小田茜さん、佐藤藍さんなどが「美少女コンテストから来たアイドル」という印象が強いです。(余談ですが米倉涼子さんは佐藤藍さんがGPを受賞した時に準GPだったそうですよ~)

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そういえば昔見ていたある番組で、「このコンテストの審査の基準は何か」ということを教えてくれていました。少しおぼろげな記憶なのですが、もちろん「見た目がカワイイ♪」という抽象的な理由だけでは選びませんよ?(笑)

「健康的であること」「知的な雰囲気も持ち合わせていること」「目に輝きがあること」など、いくつかの項目のテロップと共に歴代グランプリの受賞時の映像がスローモーションで流れていたのを記憶しています。もちろん審査員の多数決で出す結果なので、「大勢の人間に受け入れられる、共通に感じられる美しさを持ち合わせていること」が最大必要条件なのだとは思いますが・・・私はやはり「健康的であること」が美しさを感じさせる最大項目なのではないかと思っています。

たとえば肌の調子が悪そう(顔色が悪いとか?)な人を見て、「健康そう~」とは思いませんし、歯並びがガタガタで虫歯や銀歯がチラッと見えたりするタレントも、あまり居ませんよね?(お笑い芸人でない限り?)白く輝く歯が芸能人の命!というCMも昔流れた位なので、やはり口元が印象付ける健康美というのは大きいのでしょう。

関係ないですが、日本人は出べそを嫌いませんか?(^_^;)何がかっこ悪いんだろうと思いますが、世界的には別に「美しさの基準」では無いようです・・・スーパーモデルなのに結構おへその出てる人が居たりすると、必然的に「出べそって、日本人がうるさすぎ?」と感じずにいられません。

後は「髪のボリューム」も日本人は神経質で世界基準とは少しズレていると感じます。日本の多くの女性は「しっとりしてサラッとした、しなやかで黒く輝く長い髪」を求めていますが、外国では「質が少々パサパサでも、髪の量がたっぷりあるほうが生命力に溢れてて魅力的♪」みたいな美しさの価値観が多いようです。男性に於いては日本は「ハゲなんてかっこ悪い」といった風潮がどうしても抜けませんが、外国ではハゲている人がTVで馬鹿にされるようなことは見受けられない気がします。身なりがキチッとしていれば、少々髪が少なかろうがボリュームが控えめであろうが、「もう若くないんだ」といったレッテルは貼られないと私は思っています。

私は、ここまでに書いた三点、「肌」「歯」「髪」が若さを印象付ける最大要素だと思っていますが、あとはやはり「目」と「声」だと思っています。目がキラキラと輝いている人は70歳でも「元気そう」という感じがすると思うし、ハリのある声で祖父母が電話口に出てくれると「あ、元気そうじゃない?」と思うので、やはり「健康的」というイメージを抱かせる要素として抜かせないと思います。

あなたの「肌つや」「歯の輝き」「髪のコシ」「目の輝き」「声のハリ」はいかがですか?
もし「もっと若く見られたい」「健康的な輝きを放ちたい」と思うのであれば、やはり「健康的」であると見せること、「=元気であること」が最大要因ということじゃないかな~?と私は常々考えています。

ここであえて、子どもを例にしてみます。

朝起きてくるなり、「・・・ぉはよぅ・・・」と小さいかすれた声で言われると、「どうした?!元気ないじゃない!喉風邪でも引いたかな?」と思いますよね?
なんか背中にブツブツが出たり、顔色が白かったりすると、「あせも出たのかな?」「あれ?気持ち悪いんじゃない?吐きそう?」と思いますよね?
虫歯で顔が腫れている子供が居たら、「やぁ、今日も元気そうだね!」とは声をかけませんよね・・・?
お風呂で髪を洗ってあげていた時にもしズルリと髪が大量に抜けたら「病気じゃない!?」と心配しますよね?日増しに髪が薄くなっていってたりしたら?なかなか伸びなかったりしたら?不安ですよね?
なーんか目がトローンとしてるな~と思ったら、「うーん、熱かな?」とオデコに掌を当てますよね?

人間はどうやらそういった判断材料で「健康的=元気さ」をバロメータ化して測っているようなのです。
だって「今日も元気だったね!」という子供は、肌も歯も髪も目も声も輝いてハリがあって、ヨレヨレしているところなど一つも無い、生命力の塊のような元気が漲る生き物なのですから!(^-^)

そして、その生命の輝きを放つためには、よく食べてよく寝てよく出すこと(快食・快眠・快便)が大事だと思います。非常に根本的なことなのですが、子供はこのペースが狂うと、アッサリと体調を崩して元気を失くすので・・・やはり基本的にかなり単純な生き物なので判りやすいです・・・(笑)
大人もペースを守って大食せず、睡眠不足にならず、定期的に出す、を心がけて守れれば、基本的に不健康な生活にはならないと思います。よっぽどの外的な要因が邪魔しない限り、ですが★


あとは、「精神的な健康」も大事ですよね。

いくら外面的な美しさがあっても、心が醜いと顔立ちに出ます。もちろん「目は心の窓」。まず目が怪しくなりますよね・・・心根から美しい人は目から「良い人☆光線」がビビビーッと出ていますし、顔立ちが柔和です。キリキリと何かに追い詰められずに、心に余裕を持って暮らせている人は、他人にも余裕のある振る舞いが出来ますよね?心遣い気遣いが手助けという行動に繋がった時に初めて「親切な人」になれるのですから。傍でただ心配してるだけなら、まだ親切な人にはなりきれていませんよね・・・見ていてあげるだけでも「まぁイイ人」ではありますが、心配なら自分が相手に対して動くことで初めて相手にその真心が伝わるってモノじゃないですか?(^-^)

そう、美しさは外見の輝きと共に、内面の心からも発するモノなのです。いえ、内面の美しさが外見に滲み出ると表現した方が、より正しいかもしれませんね。

美しさは、これら全てのバランスです。
「バランスが美しく取れている人」が「=美しい人」なのでしょう。

どうでしょう?

手の込んだお化粧や高級な服で外見を取り繕うよりも、内面を磨くことに時間とお金を掛けた方が自身の本当の美しさに繋がる!と、あなたも思えましたか?
思ってもらえたのであれば、光栄です。(^_^)

人間をよーく磨いておけば、内面から目に向かって輝きが放たれ、心の健康が肌や髪の健康に繋がり、食べるために歯を大事にし、己を表現する言葉を大切にすれば声にハリが出るというものだと思うのです。

それが本当に「美しい人」なのではないでしょうか?(例にとった「美少女」は少し特別★^_^;)

2005年 7月 15日

驚いた!

投稿者 by namep at 01:53 / カテゴリ: / 116 コメント / 0 TrackBack

今日、3人乗り自転車で、すぐ近所の海に近い浅い川を渡っていたところ、橋の上からエイを見てしまいました。たまたま、それより以前の小さな橋を渡っている時にbianと一緒に水面に跳ねる巨大なボラを見たので、「ここにもボラが居るかな~?」とゆっくり走って見ていたから気付いたのだと思います。全長が1mはあろうかと思えるエイが、ユラユラと上流へ泳いでいく姿をしばし眺めてしまいました。そして「水族館以外でエイを見たのは初めてかもしれない・・・」とふと思いました。

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東京湾は人間が泳ぐ場所ではないような海水ですが、水族館などでは「意外と食用の魚が豊かでニギヤカなのです」などと紹介されています。しかし実際「生命体がゼロ」という死の海域もあるようだし、砂浜には「赤エイに触れると痺れるので注意!」と立て看板があったり、オイルボールが浮いていたりする話も聞きますので、喜んで入る海ではないのだと思っていました。

しかし魚達にとっては他に行き場も無いのですよね。人間が勝手に東京湾を汚しておいて、「ここは汚いからな~、きれいな海に泳ぎにいこ~っと♪」などと言って電車や車で遠出して遊んでいるのです。無責任な生き物ですね、私達って。(反省)

私にとっては、エイが汽水に入ることを知らなかったし、何度も渡っている橋から初めてエイを見たので衝撃的だったのですが、bianは「ほんとだ!エイだ・・・(2人で眺める)・・・行っちゃったね!」とアッサリしていました。その言葉を聞いて余計に、「あぁ、彼女にとっては魚が泳いでいる海や川は当たり前で、自分も遊びたくなったらその水に一緒に入るのが当たり前なんだろうなぁ」と感じてしまいました。

素直に考えれば、それが当たり前なのです。

公園などで「そんな水に入らないで」とか「その水は飲む水じゃないんだよ」とか言わなくてはならないような環境であること自体が、やはり少しオカシイのでしょう。海や川だって入って遊べる、飲みたくなったら飲めるのが、当たり前であることが一番大切なことなのです。しかし現実は「入れないんだ」「飲まないで!」と注意事項が山盛りです・・・安全と健康のために仕方の無いこと、という常識がもうオカシな常識なのです。

あと20年くらいで、もしかしたら「その辺の海から採れたモノなんて人間の食べるものじゃないですから!」と言って、子供が拾ってきたアサリを親がゴミ箱に捨てる時代が来ているかもしれません。人間が今のスピードで水を汚し続けている限り、それは空想ではなくなります。30年後にナウシカの世界かもしれないのです。水も空気も土も汚れている世界を、あなたは求めていますか?

私は「せめて今のレベルで残したい」し、出来るなら「もっと今よりキレイな状態に戻したい」と思っています。そのために私に出来ることは、出来る限りのスピードと努力で続けています。水を汚さないように、空気を汚さないように、土を汚さないように・・・あなたはそれらをどのくらい気をつけていますか?あなた1人くらいなら何も変わらないから何もしない、という選択をしていませんか?

それは楽な言い訳だと私は思います。

もし将来ナウシカの世界になった時、あなたにはその世界に生きる生物に対して、何らかの責任が取れますか?どうにかして元に戻せますか?

絶滅した野生動物を生き返らせたり、オゾンホールを閉じたり、海水面の上昇を抑えたりすることがあなたに出来るのであれば、どうぞ環境破壊活動を続けてください。でも私には復元することが出来ないので、せめてこれ以上壊さない努力をすることしか出来ないのです。

出来ることをやる。それだけです。
自分の大切なものを守るために、日々の時間や労力を割くことはそんなに大したことではありません。目先の利便性や利己心に惑わされず、大局を見据えて・・・あなたも何か一つから行動を変えてみませんか?

橋の上から10秒間眺めただけのエイから、地球の環境破壊まで!いやぁ、すごい展開でしたね♪(笑)

2005年 7月 15日

授かりモノ

投稿者 by namep at 00:49 / カテゴリ: / 18 コメント / 0 TrackBack

「子供は授かりモノだ」という言葉は、あなたもよく耳にすると思います。それは受胎する際に多く使われると思うのですが、私はそれだけではないと思っています。もちろん「狙って妊娠、自分の人生の思い通りのタイミングで思い通りの性別の子供を生んで育ててる!」って思っている方も、広い世の中に居るかもしれませんが、やはり「授かりモノ」だと思います。

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そして「名前も授かりモノだ」と私は思います。bianも、hikaruも、「自分たちで決めた」というよりは「インスピレーションを受けた」という感覚でした。bianなどはお腹の中からテレパシーを送ってきたのではないか?!とさえ思えてしまうような決まり方でしたし、hikaruも早くから漢字まで決めていたのに人名に使えないことが予定日の2週間前に判命し、呼び名だけは残して漢字を変更したという経緯があるので、多分「こう呼んでくれ」という生まれてくる子供の魂から出る「ご要望」があるのでしょう・・・(笑)

更には「性質・気質も授かりモノだ」と思っています。親がコントロールして左右できるようなジャンルのものではないのが、性質や気質です。これまたご先祖様から譲り受け続けているだけではない血が決定するのか、それだけではない宇宙からの何かが決めているのか・・・?(^_^;)
賢いとか運動神経がイイとかいう表面的なモノではないその子の本質的な部分である、「気質」というのは、親がいくら「気に入らないな~育てながら変えよ~」と努力したって変わらない、正に「授かりモノ」です。

要するに、「子は授かりモノ」という言葉は、「子供を受け入れて、それら全てに感謝することで、毎日が幸せになる宝物」ということなのだと思います。

新しい命が授かったら「よかった♪これから先、色々と楽しみだな」、名前が決まって初めて呼べたら「○○ちゃん、初めまして。お蔭様で親になれました」、2歳くらいになって人間性が見えてきたら「あぁ、こういう子なんだね~。先が楽しみだなぁ♪」と考えることが出来たら、子育てって「子育ち」に変わると思いませんか?その子はその魂を持って親を選んで名前を指定して生まれてきてくれたのですから、「ありがとう」と丸ごと受け取ること、それが親の一番の仕事ですよね。

自分たちの夢を叶える子供に育てよう、こういう教育を受けさせてみたかった、自慢の我が子に育てたい、子供は親の指示に従って当たり前・・・という態度で接しているのは、私には「子どもは親の娯楽の道具?」という風に見えます。
親の果たせなかったバレリーナになるという夢を果たすために泣きながらバレエ教室に通う子供は幸せなのでしょうか?インターナショナルスクールに通う生粋の日本人の子供って本当に最高の教育を受けられて幸せなんでしょうか?毎日習い事に忙しくてお行儀は良いけど仲良しの友達が一人も居ない子どもって幸せそうでしょうか?ご褒美とダメ出しばかりで操作されている子供は幸せな人生を歩めているのでしょうか?

子供が持って生まれた本質(その子自身が持ってきた宿命)を見抜けたら、親子共に幸せでしょうね。それがなかなか難しいのがまた面白いのですが、2~3歳までで気質が判ってきたら日々接している時間やワガママの扱いも楽しくなってくると私は感じています。

bianは甘えん坊で、責任感や正義感が強い、世話好きな女です。(「こういう人です」を参照)
2年2ヶ月一人っ子だったためだけでなく愛を多く求める性質を持っているようで、世話焼きで自分が忙しく人を見る分、自分もよく見て欲しいと願っているようです。そして間違っていることがキライで「ルール違反だよね」とか「路駐ってイヤだなぁ」とかよく言っています(←言葉的には多分に私の入れ知恵ではあります★^_^;)。お手伝いも上手で観察力や直観力が強いので、母として女として見習う部分が多いです。

その辺が判ってきたので、最近彼女とは非常に穏便にやりとりをしています。

bianを崇めている訳ではないのですが、彼女の発言は非常に重視して、「じゃぁ行ってみよう」「やってみるか」と同意して一日を過ごしてみると、「あ~楽しかった、bianがいい提案をしてくれたからだね!」という日が多いのです。また突飛なこと言うな!と当初は思っていたことも、「出来なくも無いかな」というレベルである限り挑戦してみると、イイコトがあったりするのです・・・星の強い人なんでしょう。

hikaruはまだあまり喋れないし主張も少ないので本質が半分くらいしか見えていませんが、基本的に受容と自立の人です。親切はあっさり受け入れて人に甘えるのが上手だし、自分で出来ることはサッサとやってしまって1人でやりたいように遊んでいるのが、好きで楽しい様子です。しかしその工程を誰かに邪魔されるとキーッと怒るあたりはbianと一緒でマイペースなのかもしれませんが・・・あまりにも「ぼへー」としてると不安になるので「そのくらい自己主張していこう!」と思って眺めています。怒りン坊な時も多いけど痛いから怖いから泣くということをあまりしないので、bianの2歳までと比べてしまうと全然泣きません。夜泣きもほとんど無しで、「怒った時とものすごく痛い時しか泣かないの?」という位に無駄に泣かない人です。自立しているので感情のコントロールも出来るとか?と疑ってしまいそうです・・・・・・1歳半で?!(爆)

それが判ってしまえば、邪魔しないように温かく見守る、やりたいことで危ないことじゃない限りやらせてみる、少々痛い思いをしてもケロッとしているのなら怪我して汚れて育てばイイという手法で、「目では見てるけど世話はほったらかし」なので、かなり簡単です。(笑) 

そして2人とも、かなりいい感じで育っています。

授かった魂を傷つけないように大きく育ってもらえる環境を整え、お勉強だけじゃない「体験を通した学び」を重視して人間性を高めてもらう(経験値を上げる?)、といったことに親が注力しておけば、余計な言葉や習い事が無くても、子供はどんどん育っていってくれるんだなぁ、と実感している日々です。

あなたは、親のコントロール下に大人しく入っている子供を、あなたの理想としていますか?何歳までコントロールしてあげて、何歳で自由にしてあげるんでしょう?具体的な計画がありますか?
そして毎日よく見ているはずの子供の目や顔は、幸せそうに輝いていますか?「目は心の窓」です。大人が幸せなら、子供も幸せになれます。逆もまた有り。
あなたはどうですか?お子さんはどうでしょうか?
一度じっくり観察してみると楽しいですよ。

2005年 7月 08日

言葉で育っていく子供たち

投稿者 by namep at 01:49 / カテゴリ: / 87 コメント / 0 TrackBack

子供というのは、大人から見て、残酷なほど素直で直情的な生き物です。
あくまで「大人から見て」という意見ですが、それが人間の本性なのだろうかと不思議に思うほど、奪い合ったり、権利を主張したり、ヒドイ言葉を吐いたりします・・・例え2歳児であろうとも。(^_^;)

大人は理性で様々な感情をコントロールしたり、言葉を飲み込んだり、表情を取り繕ったり、意見を言ったり聞いたりをして生きています。子供はその訓練中だから、上手くコントロールできないだけよという考え方もありますが、果たして「理性的な人間」というのは本当に「生き易い生き物」なのでしょうか?それを32~3歳の子供に押し付ける必要性ってあるのでしょうか?子供自身がそうならなければ上手く友達と付き合えないことに気が付いたら、スグに変わると思いませんか?

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もちろん人間は高度な経済社会を形成しているので、社会性や協調性と呼ばれる能力(?)が全く無いと「周りと上手くやっていけない」し、「集団で暮らせないと豊かな人間関係は築けない」んだ、というのはごもっともだと思います。
でも果たして、「3歳でそれを身に付ける必要があるのか?」が、私の疑問点です。

私は10歳くらいまでに様々な感情のコントロールや周囲の雰囲気を察知する能力が身に付けられる環境で育てておけば、おのずと子供自身が学習して身に付けるモノなのではないかと思っています。
「3歳で出来ないと一生出来ないまま」という宇宙の法則はありません。(「3つ子の魂、百まで」という言葉は「好きなことや特性は、その人から死ぬまで離れない」というポジティブな解釈であると思いますから) その環境とは、幼稚園や小学校も当然含まれていますが、やはり基本は家庭環境でしょう。子供が人格の基礎を築き上げて「常識」を身に付けるのは全て家庭内だと私は思います。

未だ生きる世界の狭い10歳までの子供にとっては、両親や家庭が「フツウの基準」で、親が「一番身近な憧れる大人」で、親のかける言葉を浴びて基本人格や価値観を形成していく過程にあると思います。だから、学校でイヤなことがあった、幼稚園で友達とケンカした、先生に誉められた、と外の世界で様々な経験をしたことを全て親に話し、その親からのコメントで物事の捉え方の価値観を作っているのだと思います。

「譲って負けるくらいなら、奪って勝つほうに回れ」「奪われるくらいなら奪うほうでいい」「悪口を言われたらお前も言い返せ」といったことを親が言うと、きっと子供も「そうすればいいんだ」という感覚で友達と付き合います。「そんなこと我慢しなくてイイのよ」「イヤだったら食べなくてイイ」「キライな人とは関わらなくて生きていける」と言うと、「そっか~、そういうことは我慢しなくていいんだ」という感覚で人間と触れ合います。

もちろん、今の言葉の例は、めちゃめちゃ直球です。(笑)
でもよく聞く「親の説教」にはこれに近いものがありませんか?

「やられたら、やりかえせ」・・・目には目を?応酬(=戦争)の訓練でしょうか?
「男がそんなことで泣くな」・・・え?女なら泣いてイイの?じゃ女を泣かしてイイってこと?
「女の子はそんなことじゃ将来お嫁にいけない」・・・結婚するのが人生のゴール?

各言葉に対して屁理屈を並べ立てるつもりはありませんが、こういった日本の「オヤジの説教(?)」には、非常に曲がった価値観が存在していると思うので、私は使いません。
たまに「制裁を加える」という言葉を子供には使いますが、それは相手に自分の受けた痛みを伝えるために、噛まれた子犬が兄弟子犬を噛み返すような感覚でやれ、と言っているレベルです。全部の痛みを受け止めるだけで我慢しろ!と言ってるわけではないことを子供には理解して欲しいので、理不尽な我慢はさせませんよ~(^_^;)


言葉というのは、現実化します。
言霊という言葉が存在するように、望みを口に出していると必ず叶うそうです。呪いを口にすると呪えるのかもしれません・・・もちろん、愚痴や文句ばかり言っている人に、イイことはあまり起こりません。

親が子供にかける言葉のシャワーって、とても重大なモノなのです。
植物に毎日水をやるように、子供にかける言葉で子供が成長するからです。

奪いあう、権利ばかり主張する、残酷なことを言う生き物に見えますが、それは包み隠すことの無いその子供の気持ちです。
今あなたがそれを「フザケルナ!」と否定すると、15年後に自分に返ってくるでしょう。親心から子供のために言っている本心からの言葉に、「クソッタレ!」「黙れ!」と言われたいですか?

「やめなさい」「いい加減にして頂戴!」「そんなことはあなたには出来ないから」「無理だから諦めなさい」と言って育てると、最初から挑戦せずに諦めてしまう、いい加減な考え方の自信の無い子供になると思いませんか?その言葉のシャワーをかけた環境で育っているから、そうなるのです。言葉は現実化しますから。

ではあなたは、子供にどういう人間になって欲しいと願っていますか?

奪い合う人間ですか?
感情の薄っぺらい人間ですか?
我慢ばかりしてストレスを溜め込んで、犯罪行為にハケグチを求める人間ですか?
自分の意見を、何のはばかりも無く雰囲気も読めずに、ズバズバ言う周囲は敵だらけ人間ですか?

こんなことを子供に願っている大人や親は居ないと思います。

ではそうならないように、否定の言葉をかけるのでしょうか?
「それはしないで」「絶対やめなさい」「○△はやめて頂戴!」「●○はダメだからね」など?
・・・否定の文章しか使えない子供になりそうですね。否定的な思考回路が出来上がりそうです。


そう、あなたが子供に願った人物像は、名前に出ているはずですよ!
お子さんが生まれた時の、最初の気持ちを思い出してください。
「健康であればそれでいいよ」「優しい子に育って」「広い心で寛容な気持ちを持って」「心身ともに強い人間になって」「身もも心も美しく」「平和のために貢献する人間に育って」「海や空、花や鳥のような自然を愛する心を大切にして」・・・そう願って名づけを考えましたよね?

それを是非とも思い出して、お子さんに話してあげてください。親の願いは必ず肯定的なはずです。

これからは少しずつ気をつけてみてください。
きっと子供はスグに変わりますよ~、だって恐ろしく素直な生き物ですから♪(^_^)

「子供には肯定文で話す」
「出来なかったときに怒るのではなく、出来たときに倍ほど感謝する」
「ガミガミダラダラ怒らずに、ビシッと1回叱る」
「親のその時の感情を、言葉と表情で伝える」
「まずは子供の言葉をオウム返しで受け止める」

こういったことは、アドラー心理学を伝える方やコーチングを学んでいる方が唱えていることです。

●アドラー心理学については、私は野田俊作さんの本を読んだ程度ですが、非常に興味を持っています。調べて見たい方はどうぞ! 日本アドラー心理学会HP→http://www.adler.cside.ne.jp/


親は完璧である必要はありませんが、10歳までの子供には理想の大人です。「お父さんみたいになりたい」「お母さんと結婚する」と言われてイヤな気持ちになる親は居ないでしょう?(^-^)

では子供が11歳になったら「もう言ってくれない」のは当たり前なのでしょうか?子供が例え20歳30歳でも「お父さんを尊敬している」「お母さんって素晴らしい女性だと思う」と言われたいでしょう?

そう望むのであれば、それに値するだけの「人間力」を持ちましょう!
広く社会を見聞きした子供にも、まだ「素晴らしい親を持って、私は幸せな子供だ」と言われうる人間であるために、2~3歳の子供の内から親が人間を磨いて生き、子供に接しましょう!

そして親子が共に幸せになれるのであれば、こんなに豊かで嬉しいことはない!と思いませんか?(^_^)

アドラー心理学やコーチングについては、学んで子育てに無駄なことは、ひとっつも無い!と言い切れます。全てが役に立ち、実践すると子供が変わります。豊かな親子関係を築きたい方や、壊れかけた親子関係を修復したいと願う方、危うい関係を懸念している方は、お勉強してまずは自分から変わってみませんか?


2005年 7月 06日

能力開発という世界

投稿者 by namep at 01:16 / カテゴリ: / 104 コメント / 0 TrackBack

私は2005年の春先に、自己啓発セミナーや能力開発という世界に、少しだけ首を突っ込んでみました。
30歳になって2児の母にはなったものの、読書をしても映画を鑑賞しても、自分の世界観だけで全てを判断している危険性に首をかしげてしまったのです・・・もっと社会を広く、世界を公平に確実に捉えられる目を養っておくことが、親としてだけじゃなく大人として、我が子だけじゃなく子供たち全ての明るい未来にも必要なんじゃないかと考えたのです。

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実際、私は自己投資というモノすらほとんどしたことがなかったので、どれが自分に必要でどれが向いているのかも判らないまま、割とがむしゃらに色々と出てみたのが実情です。それまで知らなかったし興味もなかったし必要性も感じていなかったので、「全然知らない世界」だったのですが、実は世の中に必要とされていたり認知されていたりして、非常に多くの業者が多くのセミナーを多くの会場で開いていることを知りました。

私が知ったのは自称「日本一」と謳っている業者で、多くの実績もあるし国にも認定されている「一流」の能力開発セミナーを開いている会社でした。値段は少し張りましたが内容は確かに日本一だろうと思いました。(他はあまり知らないままだけど?^_^;)

自己啓発と能力開発の違いすら判っていなかった私が、どちらも受けてみて、「あぁ、日本人ってどうして社会的に全員がこういう経験や勉強をしないまま大人になってしまうんだろう」と悲しく思いました。もちろん体験したり経験したりは、「フツウ」に生きていても出来るんだろうけど・・・それが実際はなかなか機会が無くて本人が重大な事実に気付かなかったり、大事なことを避けて通れちゃったりするから、人間性に乏しい大人が増えてしまって、こんな寂しくて冷たい世の中になってしまったんじゃないか?とさえ思えるほどです。


自分の素晴らしい能力に気が付いて、その良いところを伸ばしていける人生って、とっても楽しくて充実していると思いませんか?それがいわゆる「能力開発」です。自分の長所や特長に気付き、周りの人間の「いいところ」に気が付いて、「それを伸ばせばいいんだよ」と自分にも周りにも言ってあげられる人間が増えれば、こんなに生きることや人間関係が窮屈な社会はいつの日か消えるだろうと私は思っています。

その能力に気が付くために、「過去の自分がどういう考え方でどういう生き方をしてきたのか」「その行動によって現在どういう結果が出ているのか」などを掘り下げて考えてみた上で、さらに「未来はどう変えたいのか」「どうすれば自分が変われるのか」などをその場にいる全員で一緒に考えていける時間です。周りの他人と考える時間を分かち合うことで、「そういう考え方もあるのか!」「私は人からこういう風に見られているのか・・・意外!」ということも体験し、なかなか充実した時間です。
宇宙の法則に従って無理せず生きることで、人間は必ず望みの叶う人生を送れるということを教えてくれるのが嬉しかったですね。私の受けたセミナーはそういう世界でした。


自己啓発セミナーというのは「ややもすれば見過ごしがちな点を、他人から気付かせてもらうことで改めて、自分の人生を振り返ってみることが出来る時間」という感じです。「あぁ、そうなんだ~」「それはやってるやってる・・・(汗)」という時間で、話を聞くことで「こうすれば解決だね!」という各人の現時点での「生きる上での悩み」を解決する方法が模索できたりします。なかなか自力では気付きにくいところを「ズバッ」と言われて「ガーン」とくる、みたいな?(笑)
「自分で考えているウチに気付く」のが能力開発なので、その点では対極ですが、自力では気付きにくい(認めたくない)部分を厳しく指摘されることでガツンと響く、という点で捉えると非常に面白いです。

正しい生き方とは?成功の人生とは?金持ち父さんになるには?勝ち組に入るには?といった趣旨で、話を聞いて感動して帰ってくる、みたいなセミナーならゴロゴロしています。受けるのであれば話している人自身がやはり「人生の成功者」であって欲しいトコですね!(^-^)


これらは、私の場合、非常に子育てに役立っています。それまでの無知な私に育てられていなくて本当によかったね、と今でもしみじみ思えるくらいに、私の価値観を大きく変えてくれました。半年前の私なら怒っていただろうな~とかイライラしてただろうな~というところで、寛容に子供を受け入れて笑っていられるのも、叱るだけで怒らなくなっているのも、自己啓発と能力開発を受けたお蔭だと思います。
「自力でここまで達観したかったらきっと20年必要だった!」というところを、「お金を出して早く手に入れた」という感じで少々ズルいのですが・・・(苦笑) 
子供の時間と人生は、20年後にいくらお金を積んでも取り返せないから、小さい今のウチに私がセミナーを受けておいて、後悔しない子育てをしたい!と思ったので・・・本当に受けて正解でした。

そして今は「子どもたちのために女性や母親相手に、自己啓発や能力開発を開きたい!」とさえ思っていますので・・・でもこんな未熟な私が話してもなかなか相手に通じないだろうし、やっぱりそれなりの世界の人を引っ張ってこれるだけの人脈を持って、多くの人に影響力を与えるくらいの人格を持っていないと、言いたいこともやりたいこともうまく伝わらないと強く感じてしまいます。

今はその人脈と人格のために何が必要なのか、一般的な女性や母親が何を求めているのかを広く知った上で行動を起こさねば!と地道な努力を重ねている次第です。だから子育てドットコムを立ち上げているのですよ~♪(^-^)v

2005年 7月 06日

同じ場所にいればイイの?

投稿者 by namep at 01:14 / カテゴリ: / 83 コメント / 0 TrackBack

あなたは、「家族の団欒」「家族で同じ時間を共有する」という言葉と、「リビングでテレビを見て過ごす時間」は”=”で結ばれると思いますか?私はまったくもって”≠”だと思います。

日本ではいつのまに「お茶の間にテレビ」がのさばるようになったのでしょうね?私は記憶にある限りリビングや居間にはテレビが大きな顔をして鎮座している家庭で育っています。世間一般の団塊ジュニア世代(ジェネレーションX)は「リビングにはテレビがあるのが当たり前よ」「家族がみんなでテレビを見て笑っているのが団欒でしょ」と考えている方々が非常に多いのではないかと思います。

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「テレビは百害あって一利なし!」とまでは言いません。子供に「テレビばかり見ているとバカになるわよ!」とも言いません。イイ番組はとても充実した知識や教養を与えてくれるし、驚きや感動を与えてくれる番組も多いと思います。私はただ、「みんなで一箇所に集まって、一つのテレビを見ていれば、家族の時間を共有していることだ」という考え方はどうかな~と思うだけです。それは番組次第なのですが、私の感覚では「同じ場所に居るだけ」です。時間を共有しているとは思えません、物理的な肉体の場所を近くに共有しているだけだと思います。

経済的には家族数名が一箇所に固まっているとエコロジーなので、各個室で見たいテレビを見ているよりは、賛成です。(笑) 真夏や真冬なら光熱費の抑制に役立つとは思います。でもテレビは消している方が電力は食いませんよね?

テレビを見ながらあなたは隣の人と喋りますか?それとも黙って見てろ派ですか?(^_^)
本気で頭をフル回転させて相手のことを考えつつ、さらにテレビをしっかり見ている人って少ないと思います。どちらも「ながら」になってしまい、隣に座っている人にも番組作成者にも失礼だと思うので、私はテレビ番組を見るときには真剣に黙って見て、終わったら感想を述べ合う「映画形式」が望ましいと思っています。(だからそういう番組が好き。バラエティーとかクイズやトーク番組って、私には論外です★)

映画は、観ながら喋りませんよね?(基本的に映画館でベラベラ喋って観ている人は居ないと思うのですが・・・最近行けないので知りませんが、どうなんでしょう?^_^;)「ながら」が許されるとしたら、「軽い飲み食い」でしょうか?

でもテレビって見ながら常に「何か」しませんか?アイロン掛けてたり新聞読んでたり、電話してたり洗濯物畳んでたり、子供と喋ってたり本読んでたり宿題してたり?!(汗) マッサージチェアでウトウトしてたり、ご飯食べてたりお茶飲んでたり、お菓子食べてたりストレッチしてたり? そう、「テレビを見ながらできる」というキャッチコピーが生まれるくらい、テレビというのは「暇つぶし」や「ながらでイイ」程度の扱いなのです。しかし、リビングでデカデカとのさばっているあの態度ときたら・・・(笑)

そして「帰宅したらとりあえずテレビのスイッチを入れる」という人の多さに私は驚きます。子供や家族と話す時間はあまり必要ないけど、テレビは私に必要なの!とでも言いたいようですね。あとは「この時間になったらニュースをつける」というのもそれに似ていると思います。どうしても見たい映像があるのでない限り、新聞やラジオに始まり今やネットでも現在のニュースを知ることは可能です。どうして「テレビ」なのでしょうね。

私は子供と遊ぶ時間や、お客がいる時間、食事の時間にテレビが付いている、という「ダラダラ見」が大嫌いです。傍に居る誰かがテレビを向いてしまって、人間同士のお話に集中していないと思うと、もうかなづちを投げてブラウン管をぶっ壊したくなります!(←やや過激表現ですが、そのくらいテレビとの「ながら会話」「ながら食事」を嫌っているのです★)

ではテレビが無かったら、あなたは家族と団欒できますか?
「いや~、無理だな・・・」「え~?!出来ません!」なんていわないで下さいね・・・(-_-;)

各人が、今日身近にあった出来事、そこで感じたこと、明日したいこと、週末や来週の計画・・・それらを報告したり連絡したり相談したりする「ホウレンソウタイム」であれば、それが「家族の会話」でありそこから話が弾めば十分にそれが「団欒タイム」だと思います。そのためには一箇所に固まって座っている必要性があるし、食事をしながらでもお茶を飲みながらでも構わないと思います。たとえ会話が「食べながら」でも、話し手の目を見て神経を集中して聞いていれば、次の日にもう「え?そんなこと言ってたっけ?」と言ってしまうような希薄な聞き方は無くなると思いませんか?あなたは自分の話をいい加減に聞いて欲しいと思っていますか?

その「きちんと聞く」「聞いてもらえる話が出来る」ことが「家族の時間の共有」であり、家族の各人がそれぞれ「相手は今何を大事にしているのか」「明日は何が行われるのか」「週末は何をするのか」などを把握できてきて、「そんな~聞いてないよ!」「また勝手に出かけちゃって・・・(怒)」といった悲しいやりとりが消えると思いませんか?

私はテレビが団欒の中心であり家族の信頼関係が希薄な家庭で育ったので、テレビを恨んでいるワケではありませんが(それじゃ逆恨みですね!笑)、極力存在を薄くしたいと考えている、現在二児の母親です。テレビが無くてもみんなが自然に楽しく振舞えて、2時間でも3時間でも面白く話せて遊べる家族であること・・・それって今の時代は少し難しいことなのかもしれませんね。

でも私は「同じ場所で同じテレビ番組を見ているだけが家族の団欒タイムじゃないこと」、それを子供たちに正しく伝えていきたいのです。そのためにはまず親からテレビを引き離す必要があるでしょう?(^_^;) ゲームや映画と、「ダラダラ見るテレビ」は別物です。ゲームや映画はディスプレイとして画面を使っているだけなので、自分の采配でいくらでも使えます。テレビはCMがジャカジャカがなりたて、次々と番組が続き、見ているのか見ていないのかわからなくてもずーっと音と映像が配信されています。
要するに全てが「押し付け」なのです。
暇つぶしで見ている人の気を引こうと、奇抜なことをやったり大げさな表現をしたりしていることが私には非常に馬鹿げて見えます。何もやることが無い人が、ただ一日を無益に過ごしたいだけなら、テレビはいい付き合い相手なのでしょうが、やることがたくさんある人間には無用の長物です。人間同士の関係を強く熱く広く作り上げたい人には全く必要が無い「娯楽商品」だと思います。

私は「テレビ見ないからよく知らないんだ」という前置きをしても、テレビっ子の友達と楽しく会話が出来ます。芸能人のことをあまり知らなくてもそれなりに会話は楽しめます。ネットでも芸能人の話題は読めますしね☆
最初に「よく知らないんだ」と断っておけば相手も私に情報を求めてこないので、「へ~、よく見てるんだね~」「よく知ってるね~」「すごいな~本当に好きなんだね~」と聞くことで私は楽しめます。その人の価値観を知ることが出来るので貴重な会話だと思っています。なので「お友達と会話をあわせるために必要なテレビ番組」も無いと思います。

さて、あなたは1週間に何時間テレビをつけていますか?いくつの番組を見ていますか?
テレビを見ている間、出来ないことはいくつあるんでしょうか?それを全て読書に振り替えたら1週間に何冊の本が読めると思いますか?
子供とテレビ抜きで何時間遊べますか?
自分の親とテレビ無しで何時間話せますか?

一度真剣に数えて考えてみると、結構楽しいですよ♪